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こんにちは(^^♪
”囁き女官の館”管理人のあくあと申します。

※動画内で、『カペーとはルイ16世の名である。』と言っておりますが、誤解されやすい表現をしてしまいました。申し訳ありません。

『カペー』は一人の祖先の名なのですが、
当時、ルイ16世が市民から呼ばれていた『呼び名』です。
(これには、卑下の意が込められています。)

ご覧いただきまして、
ご評価(いいねマーク)を選んでいただけますと
今後の配信の参考になりますので、大変嬉しいです。

また、コメントも是非お寄せ下さい!
お待ちしております(^^)/

※※※

”囁き女官の館”はMarie Antoinetteの生涯を追及するチャンネルです。
1793年10月16日、フランス、パリのコンコルド広場で
37歳の美しい女性の命が絶たれた。
彼女の名はMarie Antoinette
マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ・ド・
アブスブール=ロレーヌ・ドートリシュ。
フランス国王ルイ16世の王妃である。
かつて輝かんばかりの豊かなブロンドの髪は短く断髪され、
白い衣服を身にまとい処刑された彼女を見て
群衆は「共和国万歳!」と叫び続けたという。
しかし、マリーアントワネットMarie Antoinetteは本当に
処刑されなければならなかったのだろうか?
王妃の称号をはく奪されカペーの寡婦として
裁判にかけられ、処刑されたのはなぜなのか?
誰がはじめに、彼女を宝石きちがいと呼ぶようになったのか?
そして、一体誰が、衣服とお遊び、そして
プチトリアノン宮に国庫金を浪費したと言い始めたのか?
史実は常に歪んだ形で伝えられイメージだけが独り歩きする。
物語としての歴史ではなく
本当の王妃の姿とはどのようなものだったのか・・・
囁き女官の館では、こっそりと
あなたに真実をお伝えしたいと思います。

#マリーアントワネット#フランス革命#世界一リアルなマリーアントワネット#皇室#皇室ニュース

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こちらは、”囁き女官の館”のあくあが厳選した、おススメの動画です。合わせて、ご覧下さいね(^^♪

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デュバリー夫人のとある一日を追ってみた結果・・・【マリー・アントワネットの因縁の敵・デュバリー夫人】

【衝撃】マリー・アントワネットの本当の顔には因縁の遺伝子が落とす影が?

【マリー・アントワネットの娘】マリー・テレーズの肖像画を若い頃から順に並べてみたら・・・【Marie Antoinette】
https://www.youtube.com/watch?v=Qu3GvvNQ4DI&t=3s

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