アート解説 ライブ バルティウス 少女愛 白昼のエロス [あーとふるないと]

8 [音楽] [音楽] [音楽] 3 [音楽] N1 [音楽] H [音楽] [音楽] 1 [音楽] [音楽] あ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] はい皆さんこんばんはえアートフルナイト 始まりましたぶの評論会です え市川さんこんばんはとキャツさん こんばんはかどさんこんばんはえっと今ね こう映って画面に出ている絵がですねあの 今日話をするバルチスという作家の絵です これ あの夢見るテレーズというね 1938年の作品なんですよねはいであの これねあと詳しいことは知らないんです けど数年前にあの撤去運動があったらしい んですねでまあのあ音声画像さありがとう ございますはいえ与太郎さんこんばんは 初めましてかなどうかなえこんばんは よろしくお願いしますえっとこれ あのま幼い少女ですねこれどう考えても ローティ小学生かなま白人のま成長の感じ から言うとあえ小学生ぐらいの感じじゃ なかろうかとあちょっと待ってファイルが 閉じちゃったえ思うんですけどねえ小学生 の女の子がこうえパンティーを見せている ところですがえっとこれねあの消しカラン とねまあのポリコレカードバトル だと思うんですけどであのとんでもない絵 だとあ3Dあ3Dプあありがとう ありがとう3dプリンターの話今度しよう ねはいはいえっとこんなとんでもないじゃ ないかと う撤去しろということでなんか2万人 ぐらいのえ署名は集まったらしいですねま あの色々あったみたいですけど吸ったもん だの末あのえ美術官の側は拒否したという ことらしいんですけどねでまあのこうそう いうまあのけしからんという人たちの 気持ちも分からなかないなという気もし ないでもないんですがであのバルティスは ですねあの自分の作品やあのについて色々 喋ったりすることのほとんどない人なん ですがこのまこうこういうあの少女たち ですね幼女たちのエロティシズムに関して まお前のやってるのは小児性愛じゃ なかろうかとエロティシズムじゃない かっていうようなことでねえ言われたこと に対してねえま彼は否定してたんですね エロティシズムとは何事だとそんなんじゃ ないよということをま生前言ってましたで え他の作品もちょっと見ていただくんです けどねこれもえ鏡の中のアリスという 1933年の絵なんですけどねえなかなか なかなかいいかなとあの僕は思ってますが あのえっとグリーンさんこんばんはそして その他ですねこれは えっとベッドの少女という1950年の絵 ですねはいでえまこんな絵をま次々と発表 していくわけでであのエロエロとは何だっ ていうことはバルティスは言ってとんでも そんなんじゃないよてじゃバルティスは なんて言ってるかこれについてねえそう じゃないんだよと彼女彼女たちは私にとっ ての天使なんだよって言ってます えというわけでですね完全な土変態です ねそれではそろそろえ参りましょう神聖の 土変態バルチスの え症状はいえ白柱のエロススタート [音楽] ですん T [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] えはい皆さんこんばんはう長いので少し 短めに切りましたえタイトルてあ本当にお 久しぶりですえアートフルナイトえ評会 です えっとうんというわけでねちらっと見て いただいたんですけどまバルチスという 作家はねあんまり日本では知られてないか もしれませんけれどもなかなかねえまエロ じゃないんだよ天使だよてあのド ストライクの土変態ですねあのでえっと バルティスという人なんですけどもねえ こういう人ですねえこの人まこれがあの バルティスの若きの自画像なんですけどね 千場地区さんもこんばんは えっと本名は えバルバルタザールミシェルクロクソステ ドローラというねえ名前ですええまド ローラで分かる通りま完全に貴族ですねで あの父親は東プロイ線要すにポーランドの 貴族だそうですねでえっとお兄さんの ピエルクソブスキーというのはあの マルキドサドの研究者としてま有名な作家 ですえっとでま彼ねあの幼少期から日本の 影響が非常に大きいんですよねあの父親は あの浮の非常にえ大規模な収集家であった ということで小さい頃から浮を見て育ち ますそれからまあのこの父親がま芸術的な 環境はあったんでしょうねピエルボナール と友人だったということでねまピエル ボナールから日本のえ芸術の知識を得たと 思われますねま前にボナールの話をした ことがあるんですけどボナールというのは 大変な日本マニアの人ですからでまその 父親なんですけどもえっとバルティスがね バルティウスっていうのは通称なんですが このま正式に言うとえバルタザール ミシェルクソステドローラですね君があの まこの後はバルティスと言いますねあの めどくさいんであのの両親が彼が11歳の 時に離婚をしますでその後なんですけどえ 詩人で小説家のリルケという人がいるん ですねの式という小説で有名ですけどもえ これが母親のえパラディーという人の愛人 になりますで実質上そのえこのバルチスの え父親代わりにこのリルケがなるというま 不思議な縁なんですけどねでこのリルケ ですけどもリルケもまたえめちゃめちゃな 日本ビキでしたで あの彼はあの松尾翔とそれからに めちゃめちゃに傾していたということが 言われていますそれからあの北斎にえ熱中 していましたねでそれからあのリルケは これからちょっと後なんですけど岡倉天使 の茶の本をまあ14歳の時のバルティスに 送りますえっとこの辺のところはねあま あの今日の本題とはあんまり関係がないん ですけどちょっと言っときたいのはその 日本の文化的に与えた文化的影響をねあの 日本人はあのあまりに知らなすぎるという ことですね あのものすごいものすごいですあの例えば 僕たちのこう社会的イメージとして一般的 に持ってるのは日本は明治維新で西洋の 文化を輸入したでまあの圧倒的西洋の影響 を受けて日本文化がこう変わっていったと いう感覚ですねからまあの浮がちょっと象 派に影響を与えたよとご歩は勢いが好き だったよ程度のことしか言わないわけです ねでもそんなレベルではないですあの日本 人が西洋から文化的衝撃を受けて明治に ガラっと変わっていったのと同じぐらいの 量質で量と質であのヨーロッパは日本文化 の影響をあの時受けましたであの日本はね ま基本的に歴史化のほとんどが半日左翼で あるということとなんかこう日本人の性格 的にもねこう自分たちのことを強く誇ると いうことをあんまり言わないというねその 癖外国外国の反応とか言ってねくだらない 動画いっぱいあげるんですけどあのそう いうところがちょっとあってま今アニメが ね接見してますけれどもそのえこの時代の 日本文化の正洋に与えた影響というのは ものすごく大きいですそれは浮いだけの話 じゃない浮いに関してもね今までも何度も 話をしてきましたけれども例えばま某某某 NHKの某日曜美術館というアホ番組 なんかではね例えばあの手前に木を書くの があのそういう構図を新しいの発見したん だとかあ雨の風景を書いたのはもう日本が 初めてでとかね小ちゃなこと言うんですよ ね小ちゃなことねまそういう側面はあった んでしょうけどそんなレベルではないです もう猫も借手も日本でした日本日本日本 ですあのそれはこの先も出てきますけどね その文化的影響の大きさというのはま人類 書の中でも特筆すべきレベルの影響を西洋 文化に与えましただから例えばリルケとか そういう人たちがめちゃめちゃの日本 マニアであったことというのは存外大きく 語られないんです よであの例えばイギリスに行ってね達生官 と有名な人形感老人形があるんですけど いうとこへ行くと例えばピカソとヘンリー ムーアが2人でこう立ってるとかねつまり こう20世紀の2巨頭としてこの2人がの 人形が立ってるわけですねでムーは 素晴らしい作家ですけれどもあのピカソと は比べるべくもないですね広代に与えて 影響力の大きさとかそういうことを言って も全く比べるべくもないけどそういう風に 持ち上げるそれから例えばターナーという 作家がいますこの人が印象派に大きな影響 を与えということがイギリスではこんなに 大きく語られるわけですねでもちろんその 影響を与えてるんですねドガはターナーの 友人でしたしあの他の影響がなかったわけ ではないですだけどもあの圧倒的に日本 美術の影響ですだけどえイギリスでは ターナーが印象派を作ったかのごとレベル でこう語られるわけですね教育されるま 世界ってそういうもんなんですよそれでも イギリスはまあまあマな方かもしれない えっと日本がえ19世紀から20世紀初頭 にま特に19世紀ですねヨーロッパに与え た文化的影響の大きさほどのものを体験し たらばもうあの他の国だったらえっと歴史 の教科書の半分がそこで埋まりますもう 日本こそが世界を作ったぐらいの勢いで 書きますよ世界はそうですでもま日本人は いやそんなことないでしょっていうになる んですけどあのまそれは謙虚のいいところ ではあってそういう奥ゆかしさっていうの はね日本人と美徳ではあるんですけどただ まあのしあんまり言わないでおくとね若い 人たちは知らないってことになるですよね と昔の話ですしだから是非あの若い方たち には知っといていただきたいと思いますえ このだからえバルチスのねお父さんがま ボダの影響もあって浮いの大収集家だった ま貴族でから金があったわけですよねと いうことやバリルケが松尾場所とか与野さ にめちゃめちゃ傾斜してたというようなの は別に珍しいことではないです当時として はえヨーロッパのインテルの中ではもう 日本文化はえま嵐のように吹き荒れてたと 言ってもいいんですねまあ今と違ってね 情報量が少ないんでかなりの誤解はあった とは思いますけどということでえまそれに ちょっと関係するんですけどえっと バルチスがですね11歳の時にえ密という ねあの えこれですねこれバルティスの密というん ですけど えなんていうかな合衆というかを出します 物語集です物語シですねであの一部にね これあのウキなんかでもそうなんですけど 三王という風にえ書いてあるものがあり ますで違いますこれ3つですえっと 近田さんこんばんははいえーこれねあま ちょっと長い話すると今日話長いんで手短 にしますけど要するに外国語でま日本語の 綴りを知らないでフランス人とかが音で 聞いただけで えっとそれをこう表記してっていうのが あってでそれを今度日本人がそのまま ローマ人読みで読もうとするとこれ三王 って読むんじゃないのっていう風に思った という感じですねだからに誤解が重なって だから一部では研究者を3をと読んでる人 がいますけどそれではそれは違います単に 3ですでこれ あの密って何かって言うと猫の話なんです よ猫の名前がみですねで えっとこの3はどこから来たかていうと今 の話にもちょっと関係するんですけどこれ から来 ますこれはですね あのこのこのネタは僕は今回調べるまで 知らなかったんですけどえガブリエル コレットという人が書いた踊り子3という 小説が当時流行ったらしいんです ねでえそこからその えバルチスは名前を猫の名前をミにミと いう名前を取ったということのようですで この踊り子密というのはどんな話かは知ら ないですでただこのタイトルの密なんです けどこれは日本語名前のつもりでつけてる んですねでこのガブリエルコレットという 人がどれほど日本にあの知識があったかは 分からないですしこの話があの元々ねこう 日本とどう関係があるかというと分かん ないです全く関係ないかもしれないけれど 今言ったように当時のヨーロッパ社会では こう日本日本の文日本の言葉とかえ日本の 名前とか日本に関わるものの使うことって いうのはめちゃめちゃおしゃれだったん ですよね最先端のあのなんていうか文化的 なジェスチャーでしただからえ多分中身は 何にも日本と関係ないと思いますけどこの 主人公の名前が日本名前の密という踊り子 だったんだと思いますでそれをま密と書き たいんだけどまローマ字を知らないのでな なんかこういう3つをうっていう不思議な えまあトって多分ミトって発音しようとし てこうなったんだと思うんですけどま こんな表記になったとで今それをまた日本 人が勘違いして読んでるからこれはみつを って読むんだと思ってるという風にあの ねじれにねじれていってるんですけど単純 に日本名前をつけようとしただけの話です ねでえっとこの3から取ったえ合衆が物語 合衆がこれですねこれがあのバルですがえ 11歳の時にえ書いた絵なんですけどね えっとまインクと隅で書かれてるみたい です ねであの最初にこれねこれが出ててこれ すごいなと思うんですけどちゃんとなんか あの正本したっぽいんですよねで11歳の バルチスの作品を本するてさすにさすがに お金持ちだなと思うんですがま貴族様です からねでこれはあの最初の 三という野良猫とですねあの少年が出会う ところですねレ[ __ ]のほりで出会ったと いう話になってますもちろんフィクション なんですけどねそしてこれがえなかなか 可愛いんですけど猫がえなんか食卓 ひっくり返しちゃってるかなんかの場面で 家族がねいてというよう なそしてこれですねこれ あのえ少年がこの少年はもちろんあの バルチスの自己投影なんですけどもベッド の下をこう覗いてるっていうのはこれは あのえいなくなっちゃうんですよね蜜がね でそれを探してますよという場面ですで とりあえず最後これあの少年が部屋で泣い てるとま話としてはえっと蜜がどっかに 失踪してしまうっていうねなんかそれだけ だけどもなんか悲しいお話 ですえっとこれがまバルチスがあの最初に やったまあの美術作品と言っていいのか どうか分からないんですけどねで あのこうこの中にま出てくるようななんか 家族の団欒とか色々出てくるんですけども 実際にはそういう生活ではなかったという 風に言われていますあのま両親が離婚して からあと転居の日々だったということでね その猫を買って家族でご飯を食べてる みたいなそんなえシーンが出てくるのは これはバルティスの妄想ですよということ が言われてますただここでま猫が出てくる ということとそれから最初のこの バルティスですねバルティスというのは あのえ本名ではないわけであの彼が少年 時代の家族が彼を呼んだ時のあだ名ですね それがバルティスだったそうですでちなみ にね えっとそれからもう1つがこの猫です ねにゃんこが可愛いにゃんこが出てくる わけですけどこのにんコねえはあのその後 バルチスにとっては非常に重要な自分自身 のえメタファーというかなになっていき ますねあの猫はバルチスにの絵に猫が出て きたらそれはバルチス自身だと思っていい よう ですで えっとまそんなところなですけどねあの なかなか面白いんですがあまこのバルチス のねえま3とか出てきますけれどもやあの 日本文化の影響というのはほとんどゼロに 等しですねあのほ本人は日本ビキではあり ましたえっと晩年もねこう着物を着て 過ごしたりとかもしてますしま奥様はさ 最後の奥さんは日本人の方ですからえま そういう意味ではめちゃめちゃ日本ビキ でしたけども美術作品の中にはその影響は ないかなという風に思っています えっとそうですね ででこれはまあのこの作品はまリルケがえ 序文をつけてえま一応出版したということ で ねあそれからあのバルティスという名前に ついてもう一度ねちょっと今言いかけてあ しちゃったんですけどえっと正確には バルチスだと思います あのまさっきの三央がそうなんですけどあ 外国語の発音を音だけ聞いて自分のところ の文字に起こしててやるとどうしてもそこ でま誤訳っていうか表記の間違えて起きて くるわけですね例えば僕たちは今えヨー ロッパって言いますよね普通にヨーロッパ と言いますでもえフランス人がヨーロッパ と発音することはないですよねあオーロ ですでですけどそんなこと言ってもしょう がないっていうねああピー松尾さん こんばんは勉強なんて言わないで気楽に 聞いてくださいあの えっとまどうしてもねそれは仕方がない ことがあってだからバルティスも実はあの 何度も表記が変わってますバルティスとか バルティスととかバルチスとか変わって ますで本当はバルテスが1番近いんだろう と思いますただ僕は彼の名前を覚えた頃の 日本語表記がバルティスだったので僕の口 がそれに慣れてるので今日はバルティウ スっていう発音で喋りたいと思います多分 最近の表記はバルテステスだと思います けどということでそこ了承しといて くださいで話を戻ししてえーま彼はこの あだ名を結局その自分のペンネームとして 生涯使っていくことになりますでその次な んですけどこれが非常に大きく てこれですねえっとこれはえ嵐ヶ丘 かという画文集ですねま合衆なんですけど もえっとこれもですねバルティスがあの ま若い頃とかまだ10代の頃にえ出版され たんですよでまこの程度の季節な絵でよく 出版できたなと思うし色々思うとこああり ますけどとりあえずどのぐらいの部数か 知らないけど出版はされてます慈悲出版だ とは思うんですけどで嵐ヶ丘の話もね ちょっとしときたいと思いますけど嵐ヶ丘 皆さんご存知でしょうか最近はもう英米 文学なんか読まないのかな あのちょっと水飲ませて ください嵐が丘というのはエミリー ブロンテというえ 天才女性が書いたえあの小説ですイギリス 文学の最高法の1つです英米文学の最高峰 の1つですねで あれどこ行っちゃっ たこっちじゃなくてこっちかなあそうです ねこれですねはい えっとちなみに えっとエミリーブロンテじゃなくて ブロンディーズと言ってあのブロンディ 一族という風に言われるんですね ブロンディファミリーと言われるんです けどま兄弟がみんなあの才能があった人 たちなんで言われるんですけどで ブロンディーと言うと大抵この絵が出てき ますこの絵が出てきますけれどもあの実際 は6人兄弟なんですねええ男の子もいて6 人兄弟ですで あのこれがえその嵐が丘を描いたエミリー ブロンテのま肖像画です有名な肖像なんで どっかで見たことある方もあるかもしれ ませ んでエミリーブロンテは嵐が丘の作者でえ その妹のシャーロットブロンテという人が いるんですけどその人はジェンエアという これもまたイギリス文学の最高峰の1つの 小説の作者ですでいずれも近代文学の金次 島です ねそれからあの6人兄弟末っ子のアンと いう人がいるんですけどこのの人も アグネスグレイという小説を書いたり死を 書いたりしていますねえっとまあ天才一家 と言っていいような一族 ですでこの人たちのことちょっと触れとき ますがあの彼ら牧主の家に生まれるんです ねで貧しい牧主の家なんですが6人の古沢 さんでであの養っていくことができない ためにあ寄宿者に彼らを子供たちを預け られたですねだけど当時のイギリスの寄宿 者というのは非常に不衛星ででそれでま あの子供たちは流行り病なんかで次々と 死んでいくことになりますそれでたまり かねた父親が子供たちを家にま引き戻すん ですねで えそれからはまあのほぼ社会と確実したま 辺境の牧師感であの家族だけでえ 過ごすというねまあのその牧師館の中だけ が彼女たちの世界になるというようなそう いう非常にえ独特のあの立ちというかなあ なんですねブロンディーズというのは でこの嵐が丘というのは大恋愛小説なん ですけれども えすいませ ん実際の恋愛もねそれから異性もそれから 社会も知らない少女がま妄想だけで描いた 世界なんですねでそれは異様に歪んでて 美しさと同時に狂気も感じるような傑作 ですでま大敗貴族であったあのバルティス がこういうのに惹かれたというのはなんと なく分かるような気がしますでちなみに このエミリーブロンテの肖像画自体がこの 彼女のお兄さんですねお兄さんのえブラン ウェルという人が買いきましたでブラウン ウルは後にまあの自殺のようにして若くし てなくなり ますでそれからこれです ねこれはエミリーブロンテ自身が書いた鳥 の絵ですうまいですよねちょっとねモあれ が出てて申し訳ないんだけどえっとネット なんかではロディーズの絵とかが全然出て こないですねで僕が持ってる古い資料のえ 写真をえスキャンして今お見せしてるん ですけどあの本がダメになっちゃうんで あんまりいっぱいスキャンできないのと どうしても古いのでこうモあれがいっぱい 出てしまってモれっていうのは印刷の網点 があの重なることを言うんですがこう なんかこうししみたいに見えてるじゃない ですかこれもあれっていうんですねで あんまり綺麗に見えないのもあって たくさん乗せなかったんですですけどこれ あのえエミリーブロンテが自分で書いた絵 ですうまいんですで家族みんな絵がうくて 家族みんな文章がうまいです ねで本当にえ才能溢れる一家なんですけど 彼らは6人とも若くして死んでしまい ますで えこのブロンディにの嵐が丘をベースにし たさし絵のようなものを書くのが書いたの がバルチスの本格的な最初の作品になって でこれが基本的にバルチスの生涯のテーマ になり ますえっとこれですねここういう絵ですね これが嵐が丘のマエなんです文章は入って ないみたいなんですけどねあの一部部分的 に抜してあってそこに絵がついてるみたい な感じです長い長いハラ万丈の物語なので ねえそれが全部印刷されてるわけではない です ねえこういう絵ですこれがバルチスのえ 作品の基礎になりますずっとこれを 追いかけ続けることになります ねでえっとその後のバルチスなんです けれど もま当時はね あの代はシリアリズムとかそういう近代 美術革命のま全盛紀ですよねまあのすごい 運動がいっぱい起こってた時代でそのため にま古風なえ愚probl風の作品をねえ 売り込むことが非常に難しかったと言われ てますで え苦労したバルティスはま話題集めのため に意図的に刺激的な作品を書いて書いたと いうんですねでちょっとそれがこれなん ですけどえーこれはあのピエルガロという ところで行われた最初の古典に出された 作品なんですよねでこれギターレッスンと いう作品なんですけどで意図的にこの作品 をですねま過激なあのスキャンダラスな絵 を描いたと言われてますであのこの作品は えっとカーテンをかけてあってその中に 入った人だけが見ることができるという ようなパフォーマンスをしたようですね えっとでねこれね研究者はさこれをねま 要するに話題作りのための絵だていうわけ ですよねだから何か非常に過激な絵を描い たんだっていうわけなんですよねみんな そう評論では書いてありますもう海外の 評論全部そう書いてあるんだけどま確かに それはそうかもしれないよでも ねみんなに聞きたいんだけどだからって この構造 思いつく思いつかない よあのねえ人がびっくりしたりあるいは 何かけしからんと思ったりするような絵を 描こうとかなんかそういうテーマをやろう と思って思う時に普通の人間っていうのは ねまグロかエロを思いつくんですよぼよな 人間はねま僕もぼよなんでま当然そういう 程度のことしか思いつかないわけですね あのまアホが目立とうと思ったらその2つ しか思いつかないんですよねで確かにそう なんですけど えまあ正規丸だしのドエのポルドエロの ポルノとかね人の首が飛んで血がドバドバ というようなグロい絵とかねまそういう ことで人目を引こうとはまするとは思い ますでも ねバルチスそうだ一目引くにはどうしたら いいかなって考えてですよ考えてそうだ 女の子が形し出した女の先生に髪の毛 ひっつかまれてギター代わりに正規をあの つかれて引かれてる絵がいいって思い ます思います皆 さん聞きたいんだけどその発想出て くる過激な絵描こうと思った時にだよよし 女の子の女の子をギター代わりにした片 出した女の先生が女の子の髪の毛ひっつか で股をまさってるっていうのが刺激的で いいだろうっていやその前にお前の発想 自体がめちゃめちゃめちゃめちゃ おかしい絶対 ないそうそうそうそうそう絶対ない神聖の 神聖の土変態じゃなけ出てこ ないどこどうひねってもねにはその絵柄は 出てこないっ てどんなにグロテスクでもエロくてもいい から人をびっくりさせるような映像を思い けって言われてこれは出てこない絶対出て こない からで えっと 1937年にえアントアネットっていう人 と最初の結婚をするんですよね頭に イメージがなければね出てこないよねどう いうイメージを持った人なんだって話 でしょであのそういうで結婚してでまあ だいぶ年月が経つんですけどま少し足早に 行って1962年にあのパリでの日本美術 店の選定のためにま彼はそのディレクター として選ばれたらしいんですねであの日本 に来た時にもうこれ50代後半60になん なんとするんですが日本人で当時ま通訳 だったね雪子夫人という方と出会ってでえ まナパしてですね あの えま後にあの結婚されるんですねで今も 確かえ僕の記憶は確かなならば雪子夫人は ご険罪だと思いますであの出会った時ね 当時まだ離婚していなかったですよねで 離婚していなかっただけではなくてあこれ ですねこれがえと子夫人 ですまあ日本兵は日本兵なんですけど ねえっとまあ8年間ですねその当時あの 離婚はまだ成立していなかっただけじゃ なくて8年間生活を共にしてモデルも務め ていたギリの名フレデリックティゾンて いう人がいましたその人とも同居していた んですねだけどえっと雪子夫人とま最終的 に結婚するということでねでこれま僕の 友人と当時話をしたんですけどま日本人 っていうのは若く見えます基本的にねえ 外国人に比べて圧倒的に肌が綺麗でねあの ま白人なんかはねあの女性とかも本当に あの一気肌が汚くなりますからねでそう いう意味でいつまでもわかし見えるわけ ですねなのでこのバルティスのこの 結婚とか奥様とのねあれをまあの僕さかり さんこんばんははいえっと合法ロリという 風に僕らは言ってました えっと40歳近く年の離れた日本人女性 なおかつ日本人女性普通でもねすごく若く 見られる僕もそうですけど幼く見られる 日本人女性だからまこれは あのえ合法ロリだなこれはっていうことを よく言った言ってましたうんそう思って ますねま別に悪くはないんですけどそれ 自体はねでまここまでの結婚自体は合法な んですけどそれまでの経緯がねちょっと ねっていうこと ではいこの人ですねさっきちらっと出てき たフレデリックティゾンというえその バルチスのギリのめってどういう関係だか ちょっと正確にわかんないんですけどギリ の名の方ですでこの作品は1955年のえ 白いシャツの少女という有名な絵です ねそれ からこれですねこれがえやはり1955年 の作品で目覚めという絵 ですねこれどちらもあのフレデリク ティゾンですねこの独特のちょっとえ肩 怒り方で肉がついた体型とそれから鳩胸 ですねの体型どう見ても同じ人だなという のが一発で分かります でここからなんですけどねあの8年間同居 したって解説にはさらっとそれだけ書いて あるけどこれってどうなんすかねという ことですねでこの女の子 ってどう見ても えっと生ぜ中学生ぐらいの女の子ですねで 最初はバルティスの奥さんとも同居してい たらしいけど途中で離婚している しその義理のね名っていうのはどの地筋か 分からんのだけれどもそれで良しとする 親子さんていうのはかなりのもんなんじゃ ないかと思うんですけど皆さんどう思い ますでえそれからですねバルティスはまた 別のモデルも使ってるんですよ ねえこれはですねえ猫とラフという 1949年のえです猫はバルティスですね で少女がまあの日に当たってるところなん ですけど もそれからこの絵ですねこれは ほぼ同じ題材なんですけどもえタイトルは 違っててこれは決してこない時という タイトルがついてます でザさん若すぎアウトはいそうですアウト なんですよでこっからもっとおかしくなっ てくるんですけどでちょっと先にこの タイトルの説明だけしときますがこの消し てこない時というとま何やら哲学的な印象 があるけどそうではないですねこれ現代ラ でカトジュディって いうタイトルなんですねラメンででカト ジュディというのはえ木曜日が1週間に4 日あるっていうタイトルです正確に直訳 するとそういうタイトルですであの実は あのフランスの小学校っての木曜日が休み だったんですよ昔ねで僕がいた時も確か そうでした木曜日が定休だったと学校のね なんで魔性を向けた成人女性がいるん だろうああはいえっと成人女性かどうかも 微妙なんですけどねでえっと先に説明し ちゃうとえっと木曜日が休みだったんです よねなのでえ要するに毎日が日曜日的な台 ですはやったっていうねであの逆に言えば 学校お休みだったらいいね的なね要するに あのそんなことがあったらいいな的なえま カ陽区なんですね えあの1週間に4回木曜日っていうのはま ありえないけどあったら嬉しいな的なこと を言う時の一緒のフランス語の観葉区です ただそれだけの話なのでその哲学的な題材 ではないですましょうもない話 ですでちなみにこの女性なんですけどこの 女性は実はローランスバタイユという人 ですこの人ですねこの裸の女の子は [音楽] えー名前がローランスバタというんですね でえ実はこの女性はさっきちらっと出てき たジョルジュバタイユのえ娘さん ですでジョルジュバタユっていうのは バルティスのま大変な熱心の指示者で さっき最初に見せたギターレッスンという 絵です ねこれですこの絵を見て大感動するんです ねジョジバタはねででそれ以来熱狂的な バルティスのファンになり ますでえバルティスという人あジョルジバ 優という人を知らない方のために言って おくとジョルジバ優というのは エロティシズム研究とエルティス哲学のま 第1任者とされた人なんですねあの僕も 読んだことありますけど何を言ってんだ よく分かりませんま正直言って分かりませ んあのま色々なんと なくそうそうエロチズムといえ馬太陽なん ですけど馬タユってあのあま論的なこと 書いてないんですよ例えばその性的 オルガスムてですねあの絶頂というのは1 つあるみたいな話を書いたりするんだけど も彼自身がなんか神秘主義とか半分 オカルトとかえ中世キリスト教のなんか みたいなねこう神秘思想みたいなのに凝っ てたりしてなんか言ってることがさっぱり 正直僕は分からなかったですただともかく ま極めて あの哲学的に生のことを語ったま エロティシズムの第一任者とされる人で あることは事実なんですがでこの バルティスあジョルジバタがバルティスの めちゃくちゃな指示者なんですけどで実は えっとその審者になったのはまこの絵を見 てからなんですけれども実はそれまだ話が 繋がりがあってです ねあのバタイユ自身にそのバルティスを 紹介したのは実はアンドレジードという 小説家 ですはいすいませんなんかちょっとね今日 喉が痛くてあのアンドリージードという 小説家ですノーベル文学省を取った大作家 で狭き門とか配徳者とかいうので有名なん ですよ ねでまあの20世紀のえトップクラスの 知性としてですねなんか農がきを垂れとる G3ですでえなんですがえでですが彼は同 性愛の小児性愛者でしたあのアンドリー ジードはで あの彼は元々ピエル クロソイド研究をしたとたさっき最初に ちらっと出てきたあのバルチスのお兄さん ですねの絵に感銘を受けてで彼を自分の 秘書にするんですよクロソウスつまり バルチスのお兄さんをでその繋がりから あのバルチスを知ることになります でえっとそのクロソウスはえ何をやってた のかというとジョルジュバタイユの研究を してたえマルキドそれからえあジ馬じゃ ないマルキドサドのねマルキドサドていう サドマのあのサディズムのえ名前になった 人ですけどえマルキドサドでまあのその マルキドサドの研究をしてたと言ってます けど言いましたけど実ははこの黒ソスキー も土変態ですえっとその黒ソスキー の作品というのをちょっと見ていただこう と思うんですけどうんここじゃ ないここじゃないこれです ねはいこれがえバルチュースのお兄さん クロソスが書いた絵です えっとこれはですねえまクロススキーは ものすごい絵も下手でド素人の絵なんであ ですけども要するに寄人をですね鉄の棒に 縛りつけてこれから男2人で拷問をすると いう絵ですねそれがこのこういう絵を書く 人ですで あのこのクロススキーはえもうえ神聖の 変態でて小児性愛と同性愛とえサディズム とマゾヒズムを非常に好んで書いた人です で えっとジドがね あの黒ソスにめちゃめちゃ感銘を受け たっていうのおそらく えここよりもこの辺の絵だと思いますね これジドはえっと小児性愛のえ同性愛者 でしたつまりえ若くてえ幼い少年が大好き というね男だったんでまこういう絵が多分 好きだったんじゃないかなと思いますねで その結果えこのクソスキーをうん自分の 秘書に雇ったとねえつまり え何が起きたか有名人の名前がいっぱい出 てきますけどつまりえホモの小児愛者の 作家がホとサの画家を秘書にしてその 繋がりからその画家の弟である少女小児 性愛者の画家を知ってそれを エロティシズム研究の第一任者のバゆに 紹介したとでそのバタ は自分のえ娘の裸をその商人性愛者の画家 に描かせていたていう世界です あの えーもちろん その えっと娘はえローティです ね小学校中学校ぐらいのローティの自分の 娘の裸をそのえ描かせていたという世界 です ねで あのさあ皆さんこの世界どう思いますで これこれもクソースキーですねこれは えっとまよくわからないま彼の妄想ま絵 下手くそなんですけどね男の子は男の子の 正規を握ってるような絵です けどでちなみにですねあのこれだけでは なくてこれはえ実はアンドレドランの肖像 というバルチスの絵ですであのドランは はいえこれドランはドこういう絵を書いた 人ですねフォービズムの作家なんですけど うんさかりさんだいぶ歪んだ世界いやいや 思いっきり歪んでるでしょめっちゃくちゃ 歪んでるでしょ あのこのアンドレドランっていう人はえま その[ __ ]世とかそういうのないんですけど もマティスの 友人お金に困らないと病むのかなうん あのちょっとこないだ話しかけたんです けどえっと19世紀末のヨーロッパの大敗 ヨーロッパイキ祭りとか言いましたけどま 幅が長いんで色々あるんですけど大敗 すごいですなんかねあのなんか感覚的には あの今は大敗してて昔は道徳的だったって いう感覚を人間って持ちたがるんですけど 全然違いますねあのむしろえ非常にこう 極端なこと言えばえ共産主義とか ファシズムとかがま当時としてはまもう ちょっと後の話ですけど新しい思想として 出てきますで出てくるのの背景にはその あまりに大敗したヨーロッパ社会に対する その支配階層に対する怒りというのもある んですねあなんかナズは非常に大敗した ことをやってたように映画なんかで取られ てますけどあれは嘘ですあのフランス革命 もそうですよねフランス革命もえ革命政権 の側はあのむしろ保守的ですであの要する にヨーロッパ社会の上流階級の大敗にえ いい加減うんざりした人々が革命を起こし てるっていうところがあるんですねでこの ヨーロッパのえなんか底なしの大敗という のはあの異様ででヨロヨーロッパの貴族の 持ってる こ不可解な大敗というのももうものすごい ものがあったように僕は思いますでそれは そのえその良民をあの犯すとかねなんか そういう安っぽい映画のような話じゃない ですねもっともっとなんかよくわからない 謹慎相関とかもそうなんですがまこの後も 話が出てきますがでちなみにですねこれ アンドレドランですよねでこのアンドレ ドランはえまあの マチスの友人でもありフォブの作家でも あるんですがこの後ろに女の子を映ってる じゃないですかこれドラの娘なんですよ アンドレドランの実際の娘 ですさあ え考えてください僕はま自分がねえ芸術家 のつもりでいますけどま僕には娘はいない ですけど仮に娘がいたとしてローティの娘 芸術的価値ということに関しては理解がさ れてしたとしてもですよ え10代え中学生ぐらいの娘裸にして肖像 が書きたいんだけどって言われて運という 風に言うかどうかってことですね僕は言わ ないです無理だなと思いますねだけど ドランOKしちゃうわけです ねこれってどうなんだて思いませ ん僕が欲し的 すぎる皆さんはできます でちなみにですね彼はえバルチス他にも絵 を書いてますがこれですねえこれは保安 ミロです有名な ね保安ミロの 肖像はいそしてこれですねこれはさあ誰 でしょうということなんですがこれは アンリマティスの孫娘のジャクリーン マティスの肖像です えっとすごく面白いのはバルチスという人 はえ知人友人の え中の肖像とその家族の肖像を書くんです が男の子だっていると思いますしえいるん ですけど男の子は一切書かないですで小学 生ぐらいの女の子と親ないしはその女の子 だけを書くというねあのそういう方向で絵 を描いた人ですで えっとただしこれ見て面白いなと思ったの はえこれ保安ミロお嬢さん脱いでないです ね でジャクリーヌマティスも脱いでないです ねいたとしたら大しだから芸能少女 グラビア的なものまあね少女グラビアも ある けどちょっとねOKできないよね芸術が どうこ言ってもねでえっとこうモデルは 勤めてるけどマチスジャクリマチスとそれ から保安ミロはえヌードはOKしてないと いうことがありますま息子がいる知人だっ ているだろうにね見事に幼い少女ばかり 狙い打ちしてますよ ねさすがにねえっとミロもマティス もま娘の裸OKしなかったみたいでまあの 僕が知りる限りでえミロ保安ミロとアンリ マチスまアンリマチスの息子がピエル マチスでこの女の子はそのピエルマチスの お嬢さんなんですけど えーマチス一族とあ保安ミロはあの僕は 知りうる限りで常識人だったんでさすがに いや勘弁してくれって言ったんだと思い ますえ えそういうことなんだろうと思いますね であの今ね こうピエルマチスと言いましたけどさっき 言ったピエルガロというのあの話をしまし たえっとバルチスが最初に展覧会をやった あのギターレッスンという異様な絵を書い たさ発表したのがピエルガロなんですねで このピエルガローのあがピエルマチスです でこのピエルマチスはこの今え絵が見えて ますよねこのお嬢さんのお父さんでそして えアンリマチスの息子ですえっとそういう 関係はあったんですねだけどもまあの芸術 は理解したとしてもあのいやあのそこまで はそこまで付き合いきれないよっていう ところがピエルマシスにはあったみたい ですねで えっとこれですねこれがえっとバルチスが 万年に住んだ家ですこれスイスにあるえ 歴史的な三相グランシャレーというところ でえ今もバルチスのご一家はご遺族はここ に住んでらっしゃるそうですこれですこれ が自宅です 自宅 えっとスイスでは最大の木造建築だそうで 一時はホテルとして使われてたということ で部屋は40部屋あるんだそうです もうねまかなんか全てが桁外れで違います よねでバルチスはね今でこそ数十億で取引 される大作家ですけどもあの1970年代 にピカソが彼を取り上げるまではほぼ無名 の作家でしたバタとか騒いただけですでも それでも若い頃からま贅沢な暮らしをして いたのもこのお城のような家を変えたのも おそらく大貴族様だったからだと思います えっとそしてえあのバルティスはま 亡くなるわけですねでそのお葬式にはあの フランスの大統領や首相それから優のボノ なども列席したことでも知られています 非常に広くヨーロッパ社公会のえ人々が こぞってえ彼の あの葬儀に産熱したそれほどま大作家とし て知られていたということですねえすい ませんちょっとねトイレで外しますから 待機にしますすいませんちょっと待って ください1分ぐらい外し [音楽] ます1 [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] 1 [音楽] [音楽] 1 [音楽] 1 [音楽] はいすいませんあのま開けてしまったあ すいませんえロシ人も昼あったでしょうに なぜ海外にするんでしょうねうんなんで でしょうねでまあのこういう反省ですま この辺のところまでねまずあのここまで セララにバルチスとその人物の関係をえ 語るということはあまり他のえ評論なんか ではないと思いますあのアンドレジード なんかねノーベル賞を受賞してなんか なんかま芸術家としてはいいんでしょう けどなんか偉大な人物であるかのようにね なんか持ち上げられているところがかつて あってえただの変態じじですからねだけど そういうところもあるんであんまりねここ まで語るところはないと思うんで とりあえずこれを知っていただく必要が あると思ったのでちょっと詳しく話をし まし たで えっとこれグランシャルです ねそうでえここからはあのバルチスの作品 についてですけどえバル作品のバルテス 作品の特徴というのはその変態的な題材 だけじゃなくて目につくのは繰り返す ポーズと同じポーズとそれからデ人形の ような不自然な人体ですねでこれ今見て いただいてるのは嵐ヶ丘のまあの場面なん ですけれどもこれですねこれはあの キャシーの化粧という作品でバルティスの 初期の割に有名な作品なんですけれども もう完全にこの嵐ヶ丘を元にしてい ますでま嵐ヶ丘のシのまそのまま絵にした つもりで書いてはこの場合はいるんです けど でえマルティスはこの絵については珍しく 説明していましてあのキャシーと女中は左 のヒースクリフこれあのす嵐ヶ丘の登場 人物の名前なんですがあのキャシーと女中 は左のヒースクリフが改装している姿だと 言っています左のヒースクリフというのは このえネクタイをたズボの男のことですね でこれは嵐が丘の男性主人公なんですけど でえつまり過去と現在が一緒の画面なんだ よという風にまあのバルチスは説明をして いますだからこれ同時にえ3人がそこに いるのではなくてキースクリフの記憶の中 の えーまあの人物像ということになってるん だよという話ですねでまこれはねまあの 嵐ヶ丘をかつて書いた嵐ヶ丘のこれを本格 的に油にしたんだという意味ではま題材と しては分かりやすいんです がこれですねこれはえ美しき日々というね 1946年のま作品ですねそしてえこれも まあのバルチスはね必ず10代ロティの 少女小学生ぐらいの少女がミニスカ を履いてですねちょっと胸をはけて るっていうのはお定まりなんですがでこれ ですねこれはあ後々の作品かなり後の作品 1963年のトルコ風の部屋という作品な んですけどもえこの2つをちょっと見て いただいてからこれですねこれを見て いただくとこれはあの14歳の時に書いた 嵐ヶ丘の1場面です ねだからこの嵐が丘の1場面がずっと後々 に描かれる人物像でも必ず同じポーズ基本 的には同じようなポーズとして繰り返し 登場していることが分かり ますえっとそしてこれですねこれは子供 たちというねえ作品です1937年のま 有名なバルチスの作品えバルチスはえっと 少女がミニスカートで4つばになって るっていうポーズが大好きですねはい で あのこれですねこれは えドローイングルームというねえ 1943 年ここまで一貫性がはい一貫性ありますね の作品なんですがあのま猫はバルチスです ねであの少女がいて必ず少女はミニスカは まもうもう絶対絶対必須アイテムですから ねでま4つばになってるというま絵なん ですけど ねでこれもですね実を言うとこうですあで えっと これ えっと子供たちドローイングあそうですね これトランプ占いですねこれはトランプ 占い え これパティエンスというねねあの忍耐と いうタイトルなんですけども実はこれ忍耐 というタイトルのえトランプの遊びの名前 なんだそうなんですねでだからそれをやっ てるということでは法ではトランプ占いと 出てることが多いですねえ間違って忍耐と 出てることもあるんですけどそっとなんか 別の意味に聞こえてしまうのでまゲームの 名前だということですねでそれからこれ ですねこれも う同じタイトルですねでこれらはですね あのこっちはまあの体を起こしているん ですけどあの基本的にこの嵐ヶ丘の えーこう肩がね不必要に貼ってギコ地内デ さんなんですが4つばの女の子っていう この構造がえずっと使われてい ますここまでしっかり4つばになってる 場合とそうじゃない場合とあるんですけど うんこの辺は体が起きるんですけど構造は まあ人体のあの動きとしてはみんな一緒か なというパターン化して使ってます ねそれからこれは山というねバルチスの 傑作の1つですけど僕も大好きな絵なん ですけど1937年の作品ででこれ例えば 嵐ヶ丘ですねこの嵐ヶ丘の うんえこ特に横になってる人物ですねの姿 がとてもあの似てると思い ます構図も少し似てるか なでえこういう風にですねあのバルチスの 作品というのはあの1番最初ま正確に言う と3つが1番最初なんですが14歳の時に 描いた嵐ヶ丘の絵そういうところで描かれ たデサというかま絵を元にしてそれが何度 も繰り返しえいろんなところで現れてると いう形で多くの作品が同じポーズのえ バリエーションでその多くが初期の嵐ヶ丘 の差し絵に由来するんですけど実はその さらに元がありますこの要するに嵐ヶ丘の 挿し絵を全部そのバルチスがオリジナルで 描いてるわけではなくてその引用元がまた あるんですねでこれはニコラプスさんのえ ニコラプスサンというのはフランスの ロココのえごく初期の大サッカーです日本 ではあまり知られてないサッカですけど これエコとなるキソというえままギリシャ 神話の1場面なんですがこの人物の 横たわる姿からえバルチスはこの絵をこの 姿を取ってそれがこうなっていったという 風にまあの言われてい ますそれからこれですねこの目覚めという ね作品ですけどもえ最初の頃に出てきた 女の子ですがあのこの目覚めという作品は この要するに明子ですけどもえこれから 取ったろうと言われてますねでこれはあの カバジの勝ち誇るアモールというねえ作品 ですえっと僕はそこまで似てるかなとは 思いますけれどもあのま海外の評論では こうこえバルチス研究ではここれとこれが えその引用元がこれですよというのがもう 定番になってるのでまそうなんでしょうで えそういうことになっていますそしてです ねこれですねこれはあのバルチスの異様さ を本当によく表してる素晴らしい絵なん ですけどえストリートという作品であのま 初期の異様な絵ですね本当に異様ですです けど えっとねこの絵ね何をやってんのか何度見 ても全く分からない絵なんですよ全てが 異様です えっと画面のね向かって左側に女の子がい てその女の子の後ろからこう抱きついて いるでまあなんか抱きしめようとしてる男 がいるんですけど女の子は逃げようとし てんのかななんか不思議なことやってます よねでその次左から2番目にいる子供異様 な不気味な子供がなんかやっ遊んでるん ですけど何をやってんのかよくわからない しそれからあの1番右にいる女の人がです ね [音楽] えっとこうこれですねこうなんか抱えてん ですよね あのでもこれ子供に見えないんですよね僕 にはねあのいえっていう感じで異なんです けどこの異様なこのストリートの中の印象 深い真ん中の不思議なポーズをした不思議 な男がいますけれどもえっと実は僕はね ここから取ったんだと思ってますこれあの これもまたモあれが出てしまって申し訳 ないんですけど えこれは僕があのアに行った時に買った 合衆からえ転用してるんでこうこう筋が出 てしまってるのはあのこちらの印刷上と いうかスキャン上の問題ですちょっと我慢 していただきたいんですけどこれはえマサ ちという人が書いたえ初期ルネッサンスの マチという人が書いたブランカッチ礼拝道 というところにあるフレスコ側なんですね でこの右端のその中のなんですけど右端の 男の表情を見て ください僕はねあのこのバルチスのこの顔 を見た時にあこれだと思ったんですよこれ はあの誰も言ってないです僕は思っただけ ですでもかなり確信を持ってますなぜなら 両方とも1度見たら忘れられない顔だから ですで えっとこの絵を見た時にあさっちだって 思いましたでえっと実は実際にあの バルチスはこの辺りの作家の影響が めちゃめちゃに強いんです ねそれはもう研究でもはっきり分かって ますでえっとそしてですね彼の絵が同じ ポーズを繰り返すのも えーそれから あの元ネタですね彼の絵に元ネタがあるの もあのありがちなのも実は彼が絵が下手 だったから ですあのバルチスという人は美術の専門 教育を受けていないんですねでそうすると え人体のデサの基礎教育がないといろんな ポーズをそ盛りそうそうそうでしょうそう でしょうそう思うでしょうあのそいろんな ポーズを自在に書くということがとても 難しいんですね風景なんかは何とか書ける んですけど人体のポーズを自由に書くと いうとても難しいですで えそこでですねあのま前にピータードグの 話の時に言ったんですけど大体の場合 すでにあるポーズを借用することが多い です ででま そのまあ人物をえそのそのまま書くとどう してもギシするかあ南動物のになって しまうっていうことが起きるんですねで あのえっと例えばですねこう人間を書き ますね人間の首が左ま皆さんから見て どっちでもいいんですけどこう僕は今 左向きましたでそうすると えっと骨格のデサができてない人はこう首 が左を向いたことはかけてもあの首が左を 向く時は首だけが左を向くわけじゃないん ですね筋肉は連動するので肩も動くし胸も 動くしいろんなところが少しずつ動くわけ ですねそれができないんですね書けないと 何が起こるかって言うと なんか人形のようにギクシャクギクシャク するとかねそういう感じになってしまっ たり軟体動物のようになってしまったりし がちなんですねえっとあ間違えたこの辺な もそうですねあの完全にえ肩のデさんとか が崩壊してますね首と肩の関係とか めちゃくちゃになっていますでこういう ことはえっとバルチスが絵画の基礎教養に かけていたから起きたこと ですでえ あこっち かでえこれはで あのヌードと猫という絵なんですけども うんそれからこれですねこれは1933年 の作品で幽霊の恐怖と いう作品ですこれも非常に不思議な作品な んですけれど一体どういう意味の作品なの かとえ謎に満ちているんですがでそれから これですねこれが部屋という作品 ですまこの部屋という絵はいっぱいあるん ですけどねあの例のバルチスの得意な人物 ポーズがあってそれをこパーっと太陽が 照らしてるまデッサン自体がすごい ぎこちなです ねえっとでさらにですねあの複数の人間を 描くと1人1人の関係が不自然になるん ですねでなぜかというとこれは光や影それ から のあの角度ねえ1人1人ちゃんとかけても どうしてもこう素材を持ってきても ちょうどいいように同じ同じ光の光原から のえその陰影にはならない綺麗に揃っては くれないわけですねそういうことを含めて あの人体1つ1つが1人1人がバラバラに なってしまう えーそれからまあ大きさもねどしても なんか不自然になってしまう切り張りする ように取ってくると綺麗に一致しないあの 1人1人はなんとかそうやってこう元ネタ を元にしてなんとか書くことができても それを複数持って回するとバラバラになっ て しまういうことがどうしてもあります えでデサのできる人の群像ってどういう ものかっていうと例えばこれですねこれは あのジェリコのえ有名なえナパ線の絵です けれどもこれがえっと基礎教育を受けた デッサのできる人のえ群像ですねこれは ルノワールの有名な作品ですえ1人1人と のの関係がね動きの関係光の関係に岩感が 全く生じないんですねだけどバルチスだと こうなります これはあの僕は1番好きなバルチスの絵 ですけどコメルスサンタンドレの抜け道と いう絵です ねギクシャクギクシャクして1人1人の 関係がおかしいんですよ ねそれからさっきのこれもそう ですそれぞれのポーズはなんとか頑張って 書いてるんだけどなんか全てがぎこちなで 1人1人の人物のなんていうか 関係関係ってどうどう言ったらいいのかな あの繋がりが空間的繋がりというか動きが ぎこちなんです ねこういうこういう作家たちのようには 書けないんです ねそれ からこれですね ストリートもうバラバラ ですえっとサイズ感や陰影全体のバランス の中でそれぞれが勝手につったっている から画面の中の人々に連続性がなくなって ばらけてしまってるという証拠なんですね えメトロポリタン美術館にあるこの山と いう傑作を見るとあのなんかね こうヨーデルかなんか聞こえてきそうな あの御容気な絵に一見見えるんですけども 一見そう見えるんですけど明るい絵なん ですがそういう印象の 反面不可解な居心地悪さというか狂気を はんだような不気味さが漂ってますでそれ はこの傑作サンタンドレの抜け道でも はっきりと現れてます ねでバルティスの作品は登場人物が線を 合すということがしばしば指摘されていて それはこの初期の子供たちやドローイング ルームなあのま初期のねこのあこれこの 子供たちとか えこれですね子供たちとかえドローイング ルームとかでもそうなんですよね人物の 関係がえ同じ空間にいるけどばらけて るっていうのはそうなんですけどこの ストリートも典型的ですがでそれはあの 海外のバルチス秘法などで常に指摘される こと で彼のガチ画の人間の関係性の欠如違和感 え非現実的非現実感は多くの研究者が指摘 しているところ ですでこのそれはですね彼がそういう技術 を持たなかったから切り張りで学からそう なるというのがある一方 で明らかに彼はそのチグハグな感じを利用 してい ますえっと突然話が飛ぶんですがこれ は島部というえっとビザンチン美術の作家 の絵ですねこのキリスト正面にいるんです が向かって左側に人物ですねキリストに種 してる人物動きが不自然です非常にあの ギシした動きをしてますねこれが ビザンチン美術の技術だったわけです ねでそれが数百年を得て例えばこれはえ ラファエロサチオの有名なえロレートの 聖母という作品ですけどここまで技術が 向上するわけですよね立体感と人物の空間 での連続性関連性全てがもう格段にうまく なるわけですねこれがこれになるわけ ですで実はバルティウスていうのはその 中間に位置するえプロトルネッサンス ないしはアーリールネッサンスと呼ばれる 作家たちにめちゃめちゃ影響を受けてます で中で もさっき見せたピエロデラフランチェスカ ですねえこれはあのさっきのまああとか マチまこれはさっきのマチのブランカチ 礼拝道の一部なんですけれども壁画の一部 ですけどこういう絵ですねでこれはピエロ デラフランチェスカです ねでこれはあのピエロデラフランチェスカ のアレッソにある芝の女王という絵です これアップにしたもんです ねでこのアレ道の がこのぎこちなさはあのアーリ ルネッサンスプロトルネッサンス要するに 初期の え描くことが できる木材を運ぶ人はペララフランチスカ の十字架伝説の会にいてあそうですそう ですそうですよくよくお分かりで描くこと ができる坊主をラそうですそうですそれも そうですでこの えすごい詳しい方があるんでま今驚いたん ですががえフランチスカの十字架伝説の話 に今入ってきます がえっとこの今見せてるこれはですねあの ピエロデラフランチェスカという大作家の アレットにある大壁画の部分なんですねで これ自体はここは えっと芝の女王という場面なんですがこれ 全体ではえ青十字 伝説というえ物語の一部 ですで えっとプロトルネッサンスアリ ルネッサンスは確かにぎこちなんです けれどもこれを見てくださいねこれは あのえフラアンジェリコという人が書いた え樹体国地という大変美しい絵なんですが この人はです ねこれこれはあのフランジェリコの聖母の 体感という絵の一部でですねでこの人も プロトレネなんですよマサッチやフラ アンジェリコと同世代です同時代 ですでえフランジェリコはこうなるのに 対してピオラフランチェスカはこうなり ます硬いですよねそしてなんか ぎこちな えーフランジェリコの方は少し傾いた首と か顔の輪郭の流礼さとかはるかに柔らかく て現実感がありますねピエルフランチスカ はまるで棒を飲んだように固く て人の表情も正規がありませ んでピデフランチェスカという人はま 決して下手ではないんですね下手ではない んですけどなぜか体は奇妙に硬直していて え儀式的な動きしかしないんですね非常に 表情に乏しくてえ直したというのはま彼の 絵の特徴でもありまし た えだけど もこのアレッチにあるピエル フランチェスカの成獣自家伝説という壁側 え人類師に残る屈しの名画 です僕は実物を見ました驚きましたであの まず十字伝説っていうのはキリスト教が 作った話の1つですどうでもいいいい加減 な話 あの えっとキリスト教ってはオリジナルの物語 ってほとんど持ってないんですね聖書に出 てくる話も旧約聖書に出てくる話もま旧約 聖書は偉大教でそこから取ってきてるのも あるんだけど旧約聖書自体がパクりの荒し 吹き荒れてますいつかその話もしようと 思いますけどよくあのノストラダムスの大 4元とかで有名になった目視録とかいうの ありますけどあれあの古代ペルシャの話と かそういうのをいっぱい持ってきて 繋ぎ合わせて作ってるんですでそれが もっとすごくなったのはキリスト教でで政 十字伝説っては何かって言うとキリストが 神様が十字架にかかって殺されたんだっ たらその十字架もあの何か曰のあるという かね特別な存在になきゃけしからんだろう という風に中世のクが思ってま旧約聖書と かよその神話とか色々集めてき てなんか取り止めのない要するに木の話 です十字架になってくまでの木木を巡るな 奇跡の物語みたいなのだらだらダラダラ 長く作ったのが成十字伝説というえま キリスト教が作ったヨタ話の1つですね それ自体はそうなんですけどで あのこのアレの大聖堂にはその成獣字伝説 が書いてありまし た え で硬直的であの己地内絵をピエロザ フランチスカという書く人なんですけど 明らかに大天才 ですで僕はそのアレットに行ったんですが あのイタリアというのはあローマ帝国が 滅びてから群都市国家になりますでその中 の1つにアレッもあったんですねであの僕 は当時友人と2人でそのアレに行ったん ですが本当人いなくてねあの当時って今 ほど観光局多くなかったんですねま東と西 に別れていたしそれから今ほど東南アジア とか南米とかまあまあ中国なんかもそう ですが豊かではなかった結局海外に行ける 人っていうのは西ヨーロッパの人と日本と アメリカぐらいのもんだったまカナとか そうでしょうけどということもあってそこ まで観光業が盛んではなかったと思います あのそういう意味ではねでなのでえまして はそのイタリアを見るとこいっぱいある からフィレとかベネチアとかもう観光 スポットいっぱいあるんでアレットなんて 本当人いなかったですでそもそも街体が 静か ででその礼拝道に行った時にフランチスカ のこのまあの政十字伝説の壁画を見ました これの体験をね皆さんにどう伝えたらいい かもうずっとこの配信のことで頭悩まして たんですけど特別なものでし たちょっと え異様な雰囲気のする石画 ですそもそもえっと僕は知る限りで政十字 伝説なんかをその教会の壁面1面に書くと いうのをあまり見たことがない です滅多に取り上げられない題材だと思い ますえそしてですねあの異様にでかいん ですがあの落してるんですよあの人間の手 の届くところは蛮族の従来で教会が略奪を 受けた時に壁画も壊されていますなので えっと壁画の下部分は全部 えの字がむき出しになっていてで あのヨーロッパの教会たくさん見てきまし たから本当に殺風景な教会でえっと ステンドグラスもなくてなんかほとんど ほとんどなくてただの素通しのガラス みたいな感じでで僕は行った時はたまたま ですけど教会って必ずこうずっと椅子が あるじゃないですかその椅子が半分ぐらい 撤去されてて かあの教団なんか新婦さんがなんか喋る机 みたいなのとこう前のいすだけがある みたいな多分なんかの修復のためにどけた んだと思うんですけどそんな感じでだから 入った時の印象はちょっと廃墟に近いもの がありました不潔という意味ではなくて ゴミが散らかってるという意味じゃなくて なんか抜けの殻の廃墟のような 感じでそういう教会に入ってこのピエルロ フランチェスカの絵を見上げた時になんて デ人形みたいな絵だと思いましたなんか こうみんな棒を飲んだようにつったってる 同じような顔をして無表情な人物がい てそれまで山ほどそのイタリアルネサンス の美術品を見てきたのでなんだこれと思っ たのをよく覚えてますだけどじっと見て いるうち になんかこれは違うぞと いうこれはたただ者ではないというね その官命を受けるというのとは違うんです よねむしろ恐怖 ですこれはやばいという 感じあのあくまで僕の個人的感想ですあの お前何言ってんのと思われたら仕方がない んですけど非常にやばいなという感じがし ました僕は日頃喋ってるようにキリスト教 なんてクソ暗いな人間なんですけども別に だからキリスト教の側にたって言ってる わけじゃないですけどものすごく異教との 匂いがまずしたという1つありますで題材 もそうなんだけどベネチアも行ったし ナポリも行ったし色々行ってますけど あんなになんかこうルネサンスの美術の中 であのイタリアのキリスト教美術を山ほど 見た中で違和感を感じたのは初めてでし た同時に あの危ないなという感じをすごい持ったん ですよ ねその危ないっての はい異様な異様ななんか圧のあれ感動する んではなくて不安感をかき立てるような絵 というような 気がしました えで僕は そのうんでその教会をしばらく2人で友人 と2人でじっと見ててから教会を出る時に あ友人に なんかなんかただならぬ絵だねっていう ことを言ったのをよく覚えてます でこれはバレットのフランチェスカの成獣 時伝説の壁画時に見た人にしか多分伝わら ないんですけどただならね です宗教画を書いていてその配なんか腐敗 したなんかねグロテスクなもの書いてるか そうじゃないんです けど なんか怖い絵でしたあのちょっとあの感覚 というのはピエルデフランチスカの作品で 持ってるあの感覚というのは僕は他では 全く知らないですだから皆さんがイメージ するヒエロニム母子とか悪魔的で怖いじゃ ないですかつまりあれに近いものですねで もボッシュって実はエそのものはそんなに 怖くないんですよ描かれてるものがすごく 面白くて興味深いのであってそう怖さは ないんですけどピエルフランチェスカの絵 は怖さがありますこの人尋常な人じゃない なという風に思ったのをすごくよく覚えて いますで えっとそう思ってからですね あの面白いことがあっ てこれでえこれですねこれがこれねネット から勝手に撮った画像なんであの申し訳 ないんで後で えっと編集の時には切りますう旅行者の方 が撮られたものを勝手にちょっと流用させ ていただきまし たすいませんあのごめんなさいでですが こういう感じですこの落REM度合こう いうのがあものすごい巨大な画面であの これもでかいんですよ等身台なんかはかに でかいんですね人物1人1人がこういう 感じでなんかあの明るい廃墟の中にいる ような感じの壁が教会でし たでこれなんですけど実はこのすごくその 印象が強くて僕はアレットというところが どういうとこなんだろうなとずっと思って てで実はあの足に行った時にフランシスコ ですねフランシスコ指示っというのは フランシスコ派という修道会が作った町で 聖フランシスコの自責え即席をですねあの ジオという大作家が描いているわけですね でこのジオの作品の中にアレットがあった ぞと思って僕見にえっと改めて合衆で見た んですよねで確認したんですけどこれがえ ジオが描いたアレットですこれねアレッの 街の上を悪魔が飛んでるんです よ えっとちょっとねこれはわかんないです わかんないんですけど あのよくそのヨーロッパの宗教裁判とか 遺産新聞とかっていうともうなんか美女が 出てきて火炙りになって魔女がヒヒヒ みたいなことしか思われないんですけど 実際にはそうではないですねほとんどの 場合はあの遺新もとか魔女狩りというのは キリスト教内部のえ派閥争いいないしは その思想のちょっとした違いによるセクト 争いの側面が強かったんですねそしてその 中には極めて異境的なカルト的な集団も実 は中世の時代に何度も何度も出てきてるん ですよでまあの弾圧と言えばあれです けれどもまえこのカルト集団をえ壊滅さ せるということをよくやってるんです ねでええそれがまあヨーロッパ中世の歴史 の中に非常に大きくあってでこっからは 全くわかんないですけどアレッソってそう いうとこだったんじゃないのかなという気 がしています少なくともジオットが描いた アレッは明らかにそうですねあれはあの エクソシストと書いてありましたから えっとセフランシスコがアレッチに行って 悪魔払いをしたという話なんですよ アレッチの町自体のということはえ オカルト話ではなくてアレッチが遺の町 だったということになりますこれは普通に 考えればでその遺の町でとてもえ愛された 政府えあのピエロデラフランチェスカが 書いた絵がえ成十字伝説で僕はそれを見た 時にえ異様な感じがしたというのは僕は僕 の中では繋がるような気がしますま バルチスからだいぶ離れてしまいました けどあんまりねあ僕なんかすっごい今喉が きつくてあのしっかり喋りきることができ なかったんですいませんけど今度いつかね その遺の話なんかもしたいなと思うんです けどまとりあえずバルチスに戻りますねで このバルチスは え あこのピエロダルフランチェスカのそして え特にこのアレットの大壁画のような絵を 書きたいとはっきり思ったと思われる節が ありますえピデフランチェスカを めちゃめちゃ尊敬していただけではなくて フランチェスカの遺体とかもあるんです けど壁画え壁画といえばそのアレッの大 聖堂の壁画になりますからこれに ものすごい浸水していたという風に思われ ますで えあのまこの壁側ねフレスコがなんです けども要するに あのフレスコではまカンバスのに書くこと ができないのでえ あのバルチスはガゼというねあの素材を 混ぜて溶剤を混ぜてえその油の質感を嫌っ てま一見フレスコガのような乾いたえ 肌合いの絵を描くようになりますそれが この辺の絵ですねこれはあの結構万年の絵 です えっとえこれは えこれはぬギターとラフという絵でま相変 ず少女が裸になってるんですけどもえ 明るい家なんですけどこれもまヌードが ですね症状のヌドんですけどねえぬ横顔 ヌードの横顔という絵ですけれどもこれも あのガインで書いてるんですね油とガゼを 混ぜてだから油ののてらっとしたぬめっと したえ艶やかな感じじゃなくてできれば そのアレッチの壁画のような乾いたガサッ とした肌触りのものが彼は描きたかったん ですねなのでえそういうことをやってい ますでえっとバルチスはね単に変態的な エロを描いたわけじゃないんですよねで エロっていうのは あの消費剤ですね あの観客のニーズがあってその欲を満足さ せるために描くわけですよ ねち血に溢れてるアニメとかもそうですよ ね幼児の顔の少女が巨乳を振り回して媚び まくるってよな感じのアニメはいっぱい あるわけですけどそ作者がロリだろうが何 だろうけど同時にあの観客にそういうもの を求める人が多いからサービスでサビ サービスカットでそれやってるわけですね でその意味では兄貴の変態のクソスキーも そうです絵はね下手くそなんだけど要する に変態ポルノを描いてるだけですね哲学者 を気取っていますけれども別に哲学者でも なんでもないですねただの変態ポルノ牡 ですでもえバルティスは違うんですねで これがえ今見ていただいてるのはレディ アブディという絵なんですけどこの絵の モデルはえレディアブディという社交会の 有名人だったそうです当時のねヨーロッパ 社交会の有名人なんですがで実はここで またえっと闇が出てくるんですがえ アントナンアルトというえ戯曲作家県小説 家がいてこの人が えでチェンチというねええその戯曲を書く んですよ舞台のねでこれのえ主人公役に このアブディという女性がなりますでこの チェンチという話はですね16世紀に サディスティックな父親によってま拷問さ れて[ __ ]されてえされ続けた女性が女の子 がその後父を殺した罪で処刑されたと いう貴族の家の家庭内のえ殺人事件のえ 実話実話ですベアトリーチェチェンチと いう人の物語をえその戯曲にしたんだそう ですでえバルティスはこの話エラく気に 入ってですねこのアブディをその アントナンアルトに紹介してシのセットと 要すに舞台装置と衣装をデザインしたそう です でえっと まあのこんなのばっかりだなと思うんです けど ただベアトチェンジですねそうです ででこの絵はあの その女優役をやったあのうんアブディを 描いたものだと言うんですけれどもあの でそしてそのこの物語えチェンチケという 物語からインスパイアーされて あのバルチスが書いたと言われてるんです がでもね話と関係ないですよね何をしてる のかわからないこれ普通に考えたら窓から 飛び降りようとしてるように見え ますえっとと一般的にはこのこの女性が窓 から飛び降りようと自殺をしようとしてる ところないしは窓から逃げようとしてる とこではないかと推測されてい ます もしバルチスがポルノを描きたいならば あのそういうビジネス消費罪としてのもの を描きたいんだったら父親に逆虐待されて いるところさっきの物語をベースに インスパイアされたならえ父親に拷問され 虐待されてるとことか犯されてるところと かを選んで書くでしょうしかしバルテスは 全然違うもの書いてです ね戯曲からインスパイアされたのかもしれ ないけど描いてるものは戯曲とは全く関係 がないですしかし何を書いてるのか全然 わからない ですそして次ですねこれはビクティム犠牲 者というえバルチスの傑作 ですでこの犠牲者というタイトルは えバルテスの友人で作家だったピエル ジャンジェイブという人が書いた小説に 由来してるとあの美術館の説明にありまし たただえどんな小説か全くわからないん ですけれどもどう考えてもこの少女は死ん でるように見えます でだけども不思議なことだらけでしてよく 見てもいただくと分かるんですけど画面の 右下にナイフが見えるの分かり ますナイフがあるんですけどこの女の子の 裸には差し傷がないんですよ ねこの子がどうして死んだのか分からない ですで相変わらずバルチスのことだから 10代のローティの少女の裸なんですけど ねそれからえこれです ねこれは長椅子のテレーズという1939 年の作品でこれもバルティスの有名な絵だ けど一体何をしているの かあのよく見るとですね でスカートのほれた糸を引っ張ってるん じゃないかっていう感じがしなくもないん ですけどはっきりわかんないですあま仮に そうだとしてもそれ自体はよくわかんない で彼の人物描く人物の動作は極めて不可解 で所作は何かの物語を連想させるんだけど もえもちろんその元になる物語はなく てそして一体何のことなのか わから ないで彼が書いてるのは確かにロリですで ど変態なのは間違いないんだけれども え彼の絵から見えてくるのはエロじゃなく てもっと異様な何かなんです ね自己 ない人々の動きとか あこっちじゃないこれ かこう いう人々のぎこちな 動きあのギクシャクした人形のような人体 バラバラになった人々の所作 え彼の絵から はエロティシズムではなくてえ もっと不思議な 何かどこ行っちゃったかなこれですねこれ とかもそうなんですけども え幽霊の恐怖という絵ですけれども一体何 のことだかわかんない ですこう手を振ってるま怖がってるのか これから飛び降りるの か彼が描いてるのはあのエロ単純な エロティシズムとは違うなんかもっと 不思議な何かですねでそれはえさっきあの うまく話が伝わったかどうか分からない ですけれどもえピエロデアフランチスカの え成獣地家伝説の異様さに通じる不思議な ニヒリズム不思議なあの不安感ととても似 ています でよく怖い絵とかね不思議の絵とかいうの はあるけどあのそれは確かにその怖い大座 幽霊を描いたとかねえそういうことから そういうものはあるんだけど例えばこの絵 なんかは別に怖い題材はない書いてない けど怖いです僕はなんだこれはというま これは確かにね死体だからあれなんだけど これもそうですね不気味です であの不思議な と言われる絵とか怖い絵ってありますけど バルティスで意味のわからない不可解な絵 を描いた人はいないです ね本当にわかんないですさっきのあこれも そうですねわかん ない正直あの説明もね彼はしない上に えっと海外の研究でも結局何も説明して ない です えっとバルチスが本当に何をしたかったの か僕はま最後まで分かりません エロティシズムの作家であることは間違い ないんですけれどもそれ以外のところは えっと情報が不足しすぎていて彼が何も 語っていないからただ実際に彼の作品を見 て思うのはその不気味さですその異様さ そしてそれがとてもあのピエルダ フランチェスカのレッツの大聖堂の異様さ ニヒリズムというのかそういうものと とても近しいなと僕は思いまし たえでま最後ままとめになりますけども 特にまとまることがあるわけじゃないん ですけど散々変態だなんだかんだ言ってき ましたけど あの芸術っていうのはねあの正義を表す ものではないと僕は思ってるんですね あの正しいことをね主張するために芸術が あるんではなくて人間の闇も狂気も悲劇も 悲劇も見にくさ も うん表現するから芸術なんじゃないのかな と僕は思ってい ますあの近年のアートというのはねあの 社会的とか政的な主張とかを込めた作品を 作ることがよくあるんですけど例えばそれ はえエコロジーアトかね環境にいいことを しましょうっ て誰も反対しないです ね誰1人反対しないですま環境にに越した ことはないよ ねその程度のバランスはあるにしろね環境 にってことはいいことじゃないですか差別 はやめましょうまは ねあのまあいいじゃないですかという えっと正しいことを主張してるんですよね 近年のアートというのはねそれ政治の プラカードと何の違いがあるのかと僕は 思い ますトラカード掲げてホワイトハウスの前 とか国会の前とかでなんか原論弾圧反対と かなんとかとそれと例えばバンクシーも そうですねバンクシーの作品があの好きな 方がいても別に構わない とえあギムさんがあはやたらに気に厳しい 辺境ので繰りられてやたら狭い人間関係 歪めに歪んだ愛のものでやはり影響が強い かもしれないそうですそうそうそういうこ そういうことですそういうそれはもうそれ を言いたくてちょっと足かの説明を長く 書いたんです言ったんですけどそういう ことですだからえバルチスとか要するにえ 正規末貴族たちの世界の中でこう シンパシーを感じるいうものがすごくあっ たんじゃないかなという風に思いますあの 闇っぷりも含めてねえっと最後のまとめ ですけどあの正しいことをいうみんなに 共感してもらう正しいことを言うことが 芸術なのかなということは僕は疑問に思い ますそれは政治のプラカードでしょうで それがあってはいけないというんじゃない えだからバンクシーがねあのパレスチナ 難民のためにとかてまあまあとりあえず 色々言いたいことはあるけどそれにしても も別にそんな反対することじゃないむしろ みんなに拍手されることをわっと主張し てるだけですああなたは正しいんでしょう ねと僕は思います正しい人なんだねあなた は立派だねと思いますそして僕は正しく ないから立派じゃないからと思い ますあの芸術がね人間の身にくさや汚さや 不可解さやあまま例えば性的変態性でも そうです僕は[ __ ]性愛者じゃないけれど僕 の中に性的変態性がないなんて1mmも 思わないです ね多分誰もがどういう方向性かは知らない けれど持っ てる残虐性も持っ てるあらゆるあらゆる例えばその残虐に 対する思考 性そういうものにしての思考性を持ってる 自分たちの身にくさも持ってるわですねな ので えっと うんなんて言うのか な芸術がそういうものを表現しなくなっ たらこのように住む場所はなくなるなと僕 は思い ます世の中は法律は正しいことを求める 当たり前ですね社会出場ためだからそれは しょうが ないそれはそれでしょうがないと思うん です よ思うけれど空想と想像の世界だけは僕は 違ってあって欲しいと思うんですねみんな 誰でも見にくくてみんな誰でもあなんと いうかな愚かさと癒しさと引きよ引きよて ちょっと違うかあのなんかグロテスクな もの抱えてるんじゃないのかなという風に 思いますでそれも何もかもなくなって えみんなバンクシーさんのように正しい ことを主張する正しい方たちの世界になっ たら僕は住む場所がなくなるなと思い ますでそれは本当にえっと芸術のんある べき姿なのかなということを僕はかなり 疑問に思うえ少なくともえ なんていうかな正しくないものをいっぱい 抱えてる人間としてはえーその正しくない ものを平気で書き続けたバルチスという サッカーえ非常に魅力的です彼の持って いる主張が何なのかは知らないけどしかし 彼が書いてるものが正義に満ちてると彼は 思ってないですね間違いなくそんなことは 1mmも考えてないことは確かだと思い ます自分を書いただけなのかもしれないし これが人間の本質的姿だと思ったのかも しれないしそれはよくわからないですけど その病んだ病んだ世界を病んだままに書き 続けたっていうねその戦場的に書こうとし てないですよ実はねさっきのあのアディ アブディの話で分かるように実は彼は戦場 的に書こうとはしてないんですよね唯一彼 が真面目に戦場的に書こうとしたのはあの 最初のギターレッスンぐらいのもんだと 思いますでもあれに洗浄される人がいるか どうかも微妙なですけどねやっぱりこの人 おかしいと思うだけだと思うんですけどで も彼はそのサービスとしての生産業として の要するにえ女性をせ性的搾取の対象近頃 の言葉で言えばえとしているビジネスとし て書いてることは1度もないですねそんな ことは考えてないと思います ねえっとそれは僕はバルチスという作家の 面白さだと思いますね変体的な絵を書く 作家はいっぱいいるんですよあの日本の 危ないなんかもそうですそれがダメだと いうんじゃないですよだ月岡本年なんかは ビジネスですあれね彼がどうであったか もうまよ知らないですけどあのあの危なと いうかえそのちまみれみたいなのっていう のはそういうもの見たいという観客がいて そういうものにえそういうなんかドロドロ したチルマのというかとかああの性的な グロテスクなものとかをこう見せ るっていうことをビジネスとしてはっきり やってるわけですよねビジネスってお金 冒険のためって意味じゃなくてそういう 需要と教に合わせてるということを言っ てるわけですねそういうのはものすごい はっきりしてますがえっとそういう意味で 珍しくバルチスはそういうところのない人 ですあの人はま貴族らしく書きたいものを 書いたんですね あの全然正しくなく生きた人だと思います よねさっきも言ったようにねでヨーロッパ のえ正規末の貴族っていうか上流階級の 大敗というのは本当にえすごいです えですけれどもあのうん彼らが生み出した 作品は道徳的ではないけど僕はあああいう ものが芸術なんだと僕は思ってますえ美し さも身にさも描くからこそ芸術なんだと いう風に思っていますねそういう意味で バルチスの作品はとても怖くて面白い作品 ですえま日本にえいつか来ることがあっ たら是非見ていただけたらなと思い ます変質的に同じ台座をがき続けたにその ポーズの意図や目的が分からない怖さが あったなそうですそうですねそういう感じ ですよねま好きだったんでしょうねとそれ しか言えないですけどねミニスカで四つば の女の子は好きだったんでしょうねって いうああそうですかぐらいしかあの反応 しようがないんですけど そう いう作家って面白いですよねというわけで 今回はえ歪みに歪んだバルチスと歪みに 歪んだヨーロッパ正紀末上流社会の話をし ましてえっと今日ね本当途中から めちゃめちゃ喉が痛かったんで今度はね えっと喉飴でちょっと喉をえ潤すようにし てから配信したいと思いますえ遅まで ありがとうございましたえ今日はこの辺で も時間になってしまったですね面白かった でしょうかえ他では言わない話だったと 思うのでその点だけはえちょっと評価して いただけるとありがたいなと思いますが これで終了したいと思いますグリーンさん の嵐が丘の話その通りだと思いますいつか あの えブロンディーのあの絵の写真とか集めて ブロンディの話も単体でしたかったんです けどねえ写真が出てこないんですよねあの 作品のね えあ本当ありがとうございますはいなんか ねえ今日だけちょっと極端に痛みが出 ちゃったんでまあコトは大丈夫だと思い ます じゃあどうもありがとうございましたいつ も来ていただいてありがとうまたやります じゃ今回はこれでおやすみなさい

少女愛のエロスを描いたバルティウスの話。

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