シュメール文明を築いた”影の立役者”【イラン高原の交易路】

まずはこれを見てください あ私見たことあるぞこれ これはウルのスタンダードという今からおよそ 4500 年前にシュメール人が作った作品なんだけどねけどこの作品よく見ると変なところがあるのよ 変なところ普通のシュメールっぽい美術だなって思うけど じゃあこの青い色ってなんで出しているかわかる うん こういう色って大体ラキスラ釣りじゃないの?ほらあの青い石 ごめと確かにこの青はラキスラ釣りが出しているけどねラキスラ釣りはメソポタミアでは取れないのよ えそうなのか どうして今から4000 年以上昔にメソポタミアで取れない素材で作られた美術が存在するのか今回はそれをお話しします さて今回はシリーズ攻撃の歴史をやっていくよ今回のテーマはズバりイラン光原 [音楽] 全然ズバり感がないテーマだな えいやイラン光原って聞いたら普通感盛り上がるところよ そう言われましても問題感には盛り上がりどころが分からんよ 仕方ないわねじゃあ今回イラン光原を攻撃 の歴史で扱う理由を最初に説明しよう メソポタミアは確かに最古の文明を育くん だ土地記憶な三日月地帯などと呼ばれる ほどだけど実はすごく資源に乏しい地域な のでも大きな川が2つもあってそれに挟ま れてるのに資源不足なんてことあるのか 確かに大規模な農業とそれを可能にする2 つの大画はあったしかし メソポタミアでは他の古代文明と比べるとやはりその貧しさが目立つの例えば石とかね石それがメソポタミアには乏しいの 例えばエジプトのギザのピラミッドや文明の巨石建築など古代の記念費的建築は意思で作られているものも多い一方メソポタミアの代表的建築であるの実ラとは主にレガで建築されているの [音楽] あそういえばこの3 つってどれも似ているけど実ラとだけ建築資材が異なるのか他にも木材なども乏しかったとされているよ しかし巨大建築はともかく日用品にも石材 は使われるわけでそれが全く乏しかった メソポタミアでどうやって生活するんだ そんなメソポタミアの資源不足を解決し 文明を省んだ 場所扱うイラン光原なの実は石材や物資 資源はその多くが頭部のイラン光原との 攻撃で手に入れたものだった こんなに重要な役割を果たしていた場所なのか では今回はそんなイラン光原の攻撃について皆にその重要性を説明していくよ [音楽] いつにも増して誰もやらなさそうな地味な話題を拾っていくな うるさいわねこれ以上着かされる前にさっさと本題に移っちゃおうか メソポタミアでの発掘からは見事な動機や奇跡を使った装飾品などが見つかっているしかしこれらの材料もやはり積材用メソポタミアでは取れないものだった じゃあやっぱりこれらの素材もイラン方言から その通りしかしメソポタミア文明が生まれたイラクとイランは地図で見るとお隣の国って感じなんだけど実はそう単純ではない というのもこの2国の国境にはザブロス 三脈という巨大な三脈が通っているすれば いいじゃないと思うかもしれないけどこの 三脈は南ケルシア湾沿岸から北にまで伸び ているの距離以上に険しい公路だったんだ ねまたこのイラン光原の公路は様々な地域 とメソコタミアをつぐハブのような役割も 果たしてたの北はカスピ会の沿岸東は アフガニスタンまでつがる広大で複雑な 公路の存在が高古学的な発見から示唆され ているほとんど今のイランの広さと変わら ない範囲だねそれを物語るように紀元前 4000年期初島に原選文字と呼ばれる 独自の文字が記載された粘土番や演奏が イラン高原一体から確認されるようになる エラム文字の資料が発見された地域として は西とイランの国境付近のや ケルマンシャーから始まり中段部の丸ブシ とボンチや後に世界の半分とされるイラン 中オ部のエスファハーン近郊の遺跡イラン 中南に位置するケルマンなどがあるこの 時代にはこれらの地域が大きく発展をして おりこうした公益路の重要な拠点となって いた 同じ文字が異なる地域で出現するのはまさにそれぞれの地域が繋がっていた証拠だね こうした複雑で後半な公益ネットワークがあったからこそメソポタミアは資源が乏しいにも関わらず様々な遺跡や遺産が作ることが可能になっていた しかしそう聞くとどこか物流の中心がメソポタミアみたいに聞こえるね [音楽] 一昔前はこうしたメソポタミア特に難度を 中心に研境がその職民地的に影響を補け 発展していったという歴史感もあったんだ けど今はかなり下びな考えだねどちらかと 言うとそれぞれの地域が仮面的で長期的な 公益関係を築づきメソポタミアはその拠点 の1つに過ぎないって考えた方が良いね イラン光原の公益はメソポタミア文明の成長をながら支えていたんだね 確かにこうしたしナはメソポタミア文明を洗させたけどこの大光ネットワークにおいてメソポタミアは執着点ではなかったさらにそこからエジクトへまでこうした物品の一部が流れていたことが分かっておりすでに広大な攻撃路が気づかれていたことが分かる 意外かもしれないけどエジプトとメソポタ ミアってすごい歴史の初期から繋がってる んだよね後にイランはシルクロードが通る ことになるけどそれは突然できたわけでは ないすでに歴史の最初期からイラン光原は 広大な攻撃拠点として発達していてまさに 世界をつぐ駆け橋として機能していた さてここからはイラン光原からメソポタミアへ持ち込まれたもので主要なものを紹介していこうメソポタミアの文明が始まりそして文字が発明され都市が発達した時代において最も重要された金属が聖堂だった 正動機時代なんて呼ばれたりもするね この制動機を作る上で必要な鉱物資源は 主に2つあるんだけどそのどちらもやはり メソポタミア地域で取れる資源ではなかっ たまず第1の素材である道について話して いこう同鉱石はイラン方面ではイラン中央 に交渉がありその近隣のアリスマン遺跡 からは金属加工の痕跡なども見受けられて いるまたイラン光原だけでなくイランの さらに頭部アフガニスタンからも多数の大 規模な同省が見つかっているよイラン高原 同様メソポタミアへの有力な同鉱石の供給 源であると考えられているよイランから アフガニスタンかいずれにせよ メソポタミアからは随分離れた場所にある んだねこれらはメソポタミアの初期の歴史 紀元前4000年期後半から3000年期 初島にかけてメソポタミアに同を供給して いた一方紀元前から2000年期になると レバントやキプロス など中海炎地域からもどの供給源が複数 登場するようになるよなるほどでもどっち にしても結構遠く感じるねままだ地理的な 状況を考めると会の方が生きはしやすかっ たかもしれないね そして同じく動機を作る上で欠かせない素材がもう 1つありそれが鈴だね 意外と知られてないけど実は聖堂ってどうと鈴の合金なんだよね なんかそっちの方がどうだけよりコ度が上がったり優点が下がったりするらしいよ 相変わらず理系の話になると説明が曖昧になるなこのチャンネル うるさいわね詳しくないことやわかんない ことは断言しないのが我々のスタンス でしょうさて話を戻すと鈴はどうは対象的 にその3地はかなり多くそのため具体的に ここみたいに特定するのがかなり難しいだ から現状でもまだメソポタミアへの鈴を 供給する場所がどこだったかの結論には 至ってないんだただその有力な供給源は やはりイラン光原やそのさらに東の アフガニスタンが上げられているよそれは 紀元前3000年期の末期にメソポタミア から見つかる文献資料から鈴が東方より 運ばれてきたことを記録したものや示唆 するものが見つかっているから と他にも専門家の知質調査などからアフガニスタンが主要な鈴の供給源でありそれがイラン光原を渡ってメソコタミアにたどり着いたと考えられている なるほどまあどうせどっちも必要ならすずもどうも同じ方向から運んだ方が合理的ではあるよね さらにずはメソポタミアを経由してその後 アッシリア商人と呼ばれる人々によって 現在のトルコがあるアナトリア半島にまで 運ばれていたことが分かっているそれを 踏まえると鈴は最低でも今から4000年 前にはアフガニスタンからトルコにつがる 大公益が作られていたということになるね まさにシルクロードの全身って感じだね とはいえこうした金属鉱石の供給は必ずしも同じ場所からずっと行われていたわけではないま掘り続ければは枯れるもんで だからあくまで今回あげた候補地はある特定の時代に使われていたというだけで他の場所が使われていなかったというわけではない それは別の資材に関しても同様のことが 言えるけどしかしいずれの場合でもやはり このイラン光原の攻撃路が重要な役割を 果たしていた イラン光原が運んでいたものには メソポタミア文明を象徴する重要なものが 含まれていたそれが奇跡だね特に メソポタミアと関わり深い奇跡が カーネリアンとラピスラ釣りだよこの2つ の奇跡はやはりどちらもメソポタミアには 存在しない素材なんだけどこの文明の最も 初期の時代から使用されていたことが 分かっているあとこれらは厳密には半期と いう区分らしいんだけどまあそれは今回の 話とは関係ないから割愛するね一応奇跡と 反奇跡の分類にはモースコードが関係ある らしいよ ちなみにモースコードって何か説明できる ほらあれだよ奇跡同士で引っかき合って傷ついた方が弱いみたいなそんなやつだよ うんやはり曖昧な説明だ まあ興味がある人は自分で調べてみてねさてまずカーネリアンの話からしていこうカーネリアンの名はラテンでミクを意味する言葉を由来としておりまた日本語では工玉と呼ばれているよ [音楽] これら五元や名前の通りカーネリアンは赤色の奇跡だね ちなみにカーネリアンと同じごの言葉としては花のカーネーションがあるよ 雑学をどうも紀元前8000 年期には夕フラテス川の中有域のテル春来遺跡からすでにカーネリアンのビーズが発見されている 今から1万年近く前だ その後紀元前7000年以降メソポタミア の様々な遺跡から安定してカーネリアンは 出度するようになっていくカーネリアンの 産地も複数あるんだけどメソポタミア近隣 だとイラン東部やアフガニスタン南西部が 3地として有力士されているアラビア半島 の南部にもカーネリアンの産地があるため 必ずしもイラン光原を経由したものばかり ではなかったかもしれないねこれも鈴と 同じでいろんなところに3地があるから 具体的にどこが3地だったか特定しきれ ない感じかさて続いてラピスラ釣りについ て話していこうこちらの名前は青い石おい まさにカーネリアンとは対象的な青色の 奇跡だよ深い青色に金色が混ざったような この奇跡は紀元前5000年頃に カーネリアン同様メソポタミアに安定して 出現するようになるラキスラ釣りの供給源 はかなり少なくメソポタミアに1番近い ものでもアフガニスタン北東部に位置する バダクシャンになる他にも3地としては タジキスタンの神原やガキスタンの茶が あるけどいずれもやはりバダクシャンか それ以上に遠いまたいずれもイラン光原 より頭部にあることからラキスラ釣りは ほぼ確実に鈴などと同じくイラン光原の 攻撃を渡ってきたものだと思われる ちなみにキスラ釣りはエジクトにおいても仕様が確認されているけどやはりこれらもソポタミアをさらに経由して持ち込まれたものと考えられているよ エジプトでもメソポタトミアの古のスタンダードみたいにラキスラス釣りを使った素晴らしい技術品がたくさん見つかってるよ 少なくとも現前3000 年頃にはエジクトでも見つかっていることから 5000 年前にはアフガニスタンとエジクトをつぐ攻撃路があったと思われる 他にもわずかながら地中海沿岸のレバント 地方でもエジプトと同時期にラキスラ釣り 製品が見つかっているこのことからも ラキスラ釣りを届ける公路は古代 オリエント世界中に広がっていたことが 分かるね [音楽] しかしエジプト担当の私が言うのもなんだ けどそうしてなんでラキスラ釣りを欲し がったんだ ズやは動機を作る上で必要だったと言うから分かるけどカーネリアンやラキスラすりなんてそれこそ実用的な側面はなかったんじゃないか それに関してはっきりとした結論は言えないけど概予測立つ理由は 2つ考えられる1 つ目がまず何より綺麗だったということ特にラピスラ釣りの色は非常に人気だったことが分かる ラキスラ釣りの微価値を示す表現がシュメール後の文献などで確認できてね例えばしばしば神や王の髭がラキスラ釣りの髭と表現されるんだけど [音楽] うんこれどういう表現なの?青髭ってこと いやいやそんなドアキャラみたいなものじゃなくてこれはラキスラ釣りが濃根の暗い色なことと関係があると思われる [音楽] この石は深い青であるからこそ独特の強を 持っていてそれが男性の髭の黒くそれでい て光を受けてあやかに輝く様子と退避され ているのだと思われる日本だと沼たとかが 近いかもしれないねあ確かに沼ばたって 黒い植物の趣旨のことだけどあれも黒くて 艶のある髪の毛の枕言葉として使われてる もんねまたキスラ釣りとカーネルそして金 を組み合わせた頭飾りが応募の服装品とし て発見されているこの事例からも分かる 通りこれらの奇跡は王族や貴族の異信剤と して機能していたそのことはメソポタミア 最初期の文学作品の中でも現れている 例えばエンメルカルとったとして知られる物語では主人公であるエンメルカルが支配を試みたったがラキスラ釣りの産出地として登場する エンメルカルって確かギルガメシと同じ伝説的なウルクの王様だよね そうそう他にもエキとニンフルサグという神話ではカーネリアンがメルファとより来るものと表現されている またイナンナの参加という女神に捧げられ た参加では高山の地がカーネリアンと ラキスラ釣りの地として表現されている ほう確かにいろんなところでこの2つの 奇跡が出てくるのは分かったけどこれが何 を意味しているの実はここに出てきている 知地名がどれもメソポタミアではない現の 地域を指るのラッタは主に女児子などで しか登場しない一致名で実在したかは不明 だけどこの物語ではウルクより7つの山を 超えた先にあるとされているまた メルフッハはおそらくインダス川は流域の 地域を指す名称であり実際にカ路による 交流があった地域だねそしてメソポタミア にとって高いとは東部イランとの国境に 位置する三脈のことに間違いないなるほど この神話や女児もラキスラスりと カーネリアンは遠くから特に山を超えてき たものであると強調されているんだね綺麗 なだけでなく遠方から来たものだからこそ ラキスラ釣りとカーネリアンは メソポタミア文明を象徴する奇跡として 重宝されるようになったの というわけでイラン光原の攻撃の話でした イラン光原自体も貴重な資源の生産地だっ たようだがそれ以上にもっと遠方とつぐ 攻撃拠点として重宝されていたんだね そして最後にメルファの話が出たように実 はメソミ派文明はインダス川そう現在の インドにまでその交流域を広げていたこれ については今後さらに扱い予定だよ等々 インダス文明まで手を伸ばしていくのか さすがに私たちだけでインダス文明を扱うのは難しいからあくまでメソコタミアと交流があった部分だけしか解説しないけどね よかったじゃあインダス文明担当解説の新キャラとか出てこないんだね まあ新キャラ作るのめんどくさいからね めたいこと言うな じゃあ今回の動画はここまで今後もこんな 古代オリエントに関する動画をあげていく から面白かった人はチャンネル登録高評価 をお願いねそれじゃまたね

今回は交易の歴史第二弾。メソポタミアを形作る上で非常に重要な役割を果たした、イラン高原の古代交易についてお話しします。実は皆さんがよく知る、メソポタミアの代表的文化遺産も、この交易なしでは作ることはできませんでした。

【目次】
0:00 変な美術品
0:56 実は貧乏なメソポタミア文明
3:21 シルクロードの大先輩
6:51 歴史を動かした金属
11:01 紅玉と瑠璃
14:48 宝石の価値とは何か?
18:18 新キャラの予定はありません

【参考文献】
〇『古代オリエント事典』、2004年。
…いつもの。用語の日本語訳や、表記もこちらを参考にしています。
〇クレンゲル、ホルスト、『古代オリエント商人の世界』、1983。
〇Campeggi, Michael, “The Circulation and Use of Lapis Lazuli and Carnelian in Mesopotamia between the late Chalcolithic and the Early Bronze Age I”, Origini, 46, 2022, pp. 29-56.
〇Massa M., and A. Palmisano , “Change and Continuity in the Long-distance Exchange Networks Between Western/Central Anatolia, Northern Levant and Northern Mesopotamia, c. 3200-1600 BCE”, Journal of Anthropological Archaeology, 49, 2018, pp. 65-87.
〇Wilkinson, Toby C., Tying the Threads of Eurasia: Trans-regional Routes and Material Flows in Transcaucasia, eastern Anatolia and western Central Asia, c.3000-1500BC, 2014.
〇Winter, Irene, J., “The Aesthetic Value of Lapis Lazuli in Mesopotamia”, Cornaline et pierres précieuses: La Méditerranée de l’ Antiquité à l’ Islam, 1999, pp. 43-58.

【参考Webサイト】
〇メトロポリタン美術館様(https://www.metmuseum.org)

【使用ソフト】
〇Aviutl
〇CLIP STUDIO PAINT
〇VOICEVOX(春日部つむぎ、冥鳴ひまり)

【音源提供】
〇OtoLogic様 (https://otologic.jp/)
〇甘茶の音楽工房様 (https://amachamusic.chagasi.com/)
〇Music-Note.jp様 (http://www.music-note.jp/)

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