〔虐殺否定の書き込みの前に、まずこちらの解説文に目をお通し下さい。誤解の大半が解けると思います。解説を読まずに否定論デマを書かれた場合、荒しとして対応します〕テレビ史上、初めてCG化された南京大虐殺。虐殺の理由は補給を軽視した作戦によって日本軍ですら食糧が乏しかったのに、何万という捕虜を養えなかったから(暴動が起きる前に処刑)。後ろ手に縛られ、戦闘する意思も手段も放棄した人間を背後から殺害することは虐殺です。日本兵が南京城内で便衣兵(ゲリラ)に苦しめられたという公式報告はありません。現在の中共政府はウイグル人を非道に弾圧し、香港に圧政を敷き、南沙諸島を不当支配。それを国際社会で批判する為にも日本は過去を直視せねばなりません。
※推薦動画【永久保存版】南京大虐殺の証拠~当時の記録映像と生存者の確実な証言(32分)https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k
※【貴重証言】加害者としての日本軍 https://youtu.be/vh64udZTUTs (16分)
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南京占領軍への当初の命令は「青壮年はすべて敗残兵、又は便衣隊(ゲリラ)と見なし、­すべて逮捕監禁すべし」。つまり、老人と子ども以外の中国人男子は全員逮捕監禁せよと­いう厳命。だが、捕虜10万人の食料も収容する施設もない。やがて命令は「捕虜を処分­(処刑)、殲滅(せんめつ)せよ」に変わった。『ハーグ陸戦協定』では「武装解除した­捕虜の虐殺」を戦争犯罪としている。ネット上では多数のデマが流れているため、よくあ­る質問と答えを以下に整理。
・日支事変は国際法上の“戦争”ではないため『ハーグ陸戦協定』は当てはまらない→­ならば平時の殺人であり戦犯以前に殺人罪。
・便衣兵(ゲリラ)だから処刑していい→略式でも裁判は必要だし、そもそも南京城内に便衣兵はいなかった(後述)。
・占領前より人口が増えた→増えたのは国際安全区の人口。周辺から避難民が逃げ込んで来た。
・当時まったく報道されてない→占領2日目には米国で「南京大虐殺」と新聞の見出しに。
・虐殺証言で登場する元日本兵は中国共産党に洗脳された中国帰国者(中帰連)。→南京­戦に投入された部隊は捕虜にならず帰国しており、中国共産党は無関係。
・捕虜虐殺を見ていないジャーナリストがいる→虐殺現場は街から4キロ離れた揚子江­の川岸。
・捕虜の暴動が起きたので仕方なく殺した→暴動説は戦後に現場指揮官の1人が批判から逃れるためにでっち上げたものと2018年に判明。
〔まとめ〕南京を占領した日本軍は、各部隊とも自軍の10倍近くの捕虜を得て、その処­理に困って殺害に至った(例えば山田支隊1500人に対して15000人の捕虜が発生­し幕府山事件が起きた)。本来、捕虜ならば軍法会議、捕虜以外は軍律会議の判­決で処断せねばならない。
※日本軍の名誉のために書いておくと、捕虜を殺害せず、武装解除したうえで釈放した部隊もある。第6師団歩兵第45連隊は5500人を、国崎支隊の歩兵第41連隊は2350人を解放。
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【補足・通州事件…痛ましい事件が愛国デマに利用されている】
(1)日本人居留民が殺害された通州事件は、日本が作った傀儡政権・冀東(きとう)防共自治政府の兵の暴走で南京国民政府とは無関係。襲撃者は国民党軍でも共産軍でもなく、日本軍が育てた親日派の子飼いの部隊。日本軍の誤爆が先にあり飼い犬に手を咬まれた。それゆえ日本側は関係のない国民政府に賠償を求めず。民間人に対する猟奇的虐殺は絶対に許されないが、まともな保守の歴史学者はこの冀東自治政府の事件と南京大虐殺を並列に論じない。
関東軍参謀田中隆吉「事件の発端は日本軍の軽爆撃隊の誤爆からである」
北京大使館参事官森島守人「兵舎誤爆への報復であり事件の責任は日本陸軍にある」
※蒋介石が前夜に日本軍大敗の偽情報をラジオで流したのも一因。
(2)通州事件は、日本人104名と朝鮮人108名、計212人が虐殺された。朝鮮人の死者の方が多いが、当時の朝鮮は日韓併合下にあり「邦人200人以上」としている。
(3)日本軍は通州からヘロインなど大量の麻薬を大陸に流していた(毒化政策)。その悪行が中国人から反発を買ったため襲撃者に市民(学生)が混じっていた。日本側はバツが悪い為しばらく新聞発表を伏せている。
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〔補足2・便衣兵のせいというデマ〕
第一次上海戦では便衣兵(ゲリラ)の攻撃を受けたが、第二次上海戦では便衣兵からの攻撃はないに等しかった。特に南京城内では報告皆無。南京戦では「国際法を違反した便衣兵」は存在せず、虐殺を正当化する理由にはならない。軍の記録でも「(便衣兵処刑ではなく)掃討で敗残兵を殲滅した」と書かれている。東京裁判で弁護側は「無裁判処刑は合法である」とは主張せず。
※装備に劣る側が祖国を守る為にゲリラ戦を選ぶ場合、侵略者がそれを虐殺の理由にするのは酷い話。日本が侵略していなければ便衣兵になる必要もなかった。
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〔補足3・人口のデマ〕
否定派は「南京の人口が占領後に10万人増えているのが証拠」という。これは簡単に説明できる。南京一帯で戦闘が行われているわけで、南京市の国際安全区に避難民がなだれ込んでいるだけ。
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〔補足4・犠牲者30万人に根拠はあるか〕
1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は市内の常住人口について統計資料を保存している。1935年に100万人の大台を突破し、虐殺9カ月前の1937年3月の調査では101万9667人で、戸数は20万810戸(南京の首都警察庁調べ)。この3月時点の100万人は、虐殺肯定派、否定派とも見解が一致。その後、日本軍の連日の空襲で人口が減り始め、11月20日に国民政府が重慶への首都遷都を宣布、さらに日本軍の接近が伝えられたことで住民が激減、11月23日に南京市政府(馬超俊市長)は「現時点で人口は約50万」「ただし今後20万人の周辺難民の流入を予測」と国民政府軍事委員会に報告している。実際、膨大な数の農民が難民となって城内に避難した。南京守備部隊、常住人口、流動人口の合計が約60万人、そして虐殺後の人口が30万人強であることから、中国側が主張する犠牲者30万人は、「最大値としては」あり得る数字だ。
※南京安全区国際委員会の「日本軍の暴行記録」をもとに死者49人とする言説があるが、この記録はあまりに酷い日本兵の態度の改善を求めるため、実例を挙げて提出した文書であり氷山の一角。被害を網羅する目的のものではない。
※「米国が原爆犠牲者の数にあわせてでっち上げた」もデマ。当時も現在も、米国は日本への原爆投下をまったく悪いと思っていない。
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〔補足5・消えた遺体について〕
捕虜の処刑は揚子江の河岸で行われ、遺体は大河に流されたことが日本軍の記録で明らかになっている。市民の墓は点在し、ここを掘れば数万人の遺体があるといった場所はない。ちなみに埋葬隊記録では155,000体(異説あり)。これは焼き棄てられた死体や、揚子江に投げこまれた死体を計算に「入れていない」。 次が重要な点。日本側が考える南京事件は、期間が12月13日の陥落から17日の入城式まで、場所は南京城内で行われた掃討戦としているケースが多いのに対し、中国側は期間が南京戦から3カ月、場所は南京周辺の農村を含んだ広大な地域であり、この時点で両者が主張する数字が合致するはずがない。中国が嘘をついているのではなく、単に期間と場所が異なるだけ。
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〔補足6・虐殺を見ていない部隊がある〕
南京戦に参加した部隊は約10師団(一部は支隊のみ)20万人。そのうち一次資料で虐殺に何らかの形で関わったことが確定しているのは
第9師団歩兵第6旅団歩兵第7連隊
第13師団歩兵第103旅団歩兵第65連隊
第16師団歩兵第19旅団歩兵第20連隊
第16師団歩兵第30旅団歩兵第33連隊
第16師団歩兵第30旅団歩兵第38連隊
第6師団歩兵第11旅団歩兵第13連隊
第6師団歩兵第11旅団歩兵第47連隊
第6師団歩兵第36旅団歩兵第23連隊
第114師団歩兵第127旅団歩兵第66連隊
それゆえ、他の連隊に虐殺を見ていない兵士がいる可能性はある。そもそも南京城内は山手線に匹敵する広さ。
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〔補足7・「目撃者もなく、当時には一切報道もされていない」というデマ〕
・欧米で事件は大々的に報道されていた。占領2日目には早くも『シカゴ・デイリー・ニュース』が「NANKING MASSACRE(南京大虐殺)」の見出しで第一報を掲載。4日目に『NYタイムズ』が「大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した」と掲載。
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〔補足8・「蒋介石は知らなかった」のデマ〕
1938年1月(虐殺翌月)の蒋介石日記に「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである」と記述。
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〔補足9・「中国軍の仕業を日本軍になすりつけている」のデマ〕
仮にその陰謀が事実なら日本軍はおおいに対外宣伝に利用したはずだが、当時そのような宣伝は行なわれていない。ただし中国兵が民間人の服を奪う際に殺害に及んだ事例は一部であった。
※そもそも日本兵の補給は現地用達、つまり徴発(略奪)が基本方針であるため悪評が広まっており、わざわざ日本兵のフリをして貶める必要はなかった。
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〔補足10・パール判事について〕
「パール判事が日本の戦争行為に理解を示した」というのは保守派のデマ。パール判事は日本軍の残虐行為に激怒している。東京裁判は、新しく作った法律で過去の行為を処罰できないという法学者の信念から「無罪」としたのであって、「日本は悪くない」とは言ってない。南京大虐殺については「宣伝と誇張を出来る限り考慮しても、なお残虐行為は日本軍が占領したある地域の一般民衆、また、戦時俘虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」と虐殺を認め断罪している。パール判事の息子は、東條英機の伝記映画『プライド』が東條を美化するため自分の父を利用していると憤慨し、田中正明氏(勝手に松井石根大将の文章を改変し「南京事件はなかった」と嘘をまき散らした人物)に抗議している。
パール判事の激しい批判:
・張作霖爆殺事件は「無謀でまた卑劣である」「殺人と言う卑怯な行為」
・満州事変を「非難すべきもの」
・満州国建設を「手の込んだ政治的狂言」
・南京虐殺やフィリピンでの虐殺を事実と認定し「鬼畜行為」と批判。南京大虐殺について20箇所以上の残虐行為を指摘したうえで「鬼畜の性格を持っている」と断じ、戦争指導者は無罪であっても、殺人・強姦など通例の戦争犯罪の実行者に対する処罰は(新法で後から処罰することですら)「正当である」と述べている。
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少し相手の立場で考えてみましょう。終戦時、中国にいた日本軍は105万5700人。日本軍は補給を軽視し、農村から命綱の牛馬鶏を奪い、穀物を奪いながらの行軍、占領です。そして少なくない部隊で強姦が発生し、抵抗すれば殺害。この歴然たる事実を正面から見つめ、どうかネットにデマを広めないよう、同じ日本人として心からお願いします。
※投稿欄でさらに説明し虐殺否定派の東中野修道氏、田中正明氏、藤井厳喜氏、上島嘉郎氏、小名木善行氏、水間政憲氏についても記述。

★その他、否定派の疑問は以下の4つのリンク先で100%解決されると思います。
「南京事件FAQ」 https://seesaawiki.jp/w/nankingfaq/
「南京事件資料集」 http://kk-nanking.main.jp/index.html
「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」http://yu77799.g1.xrea.com/
「南京事件の写真検証」https://bit.ly/2EEM7Wc

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