パンダコパンダ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=117431 / CC BY SA 3.0

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『パンダコパンダ』は、東京ムービーの劇場用中編アニメーション作品である。
1972年12月17日公開、東宝配給、カラー34分。
のちの『となりのトトロ』の原型とも評される。
監督(クレジットは「演出」)は高畑勲で、宮崎駿が原画の他、原案、脚本、画面設定を担当している。
1972年(昭和47年)に日中友好の一環として中国からジャイアントパンダが上野動物園に贈られたことをきっかけに、日本にパンダブームが起こり、それに合わせて公開されたアニメーションである。
「パンダブームが企画のきっかけ」という見方があるが、監督の高畑勲はそのずっと以前からパンダに注目して企画を立てていたと述べている。
東宝チャンピオンまつりの一本であり、同時上映は『ゴジラ電撃大作戦』『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』の2作品。
『長くつ下のピッピ』アニメ化のために東映動画からAプロダクション(後のシンエイ動画、以下Aプロ)に移籍した高畑・宮崎および小田部羊一の3人が、原作者の許可が降りなかったため頓挫した後に作られたオリジナル作品。
主人公ミミ子が一人暮らしをすること、ミミ子のデザイン(三つ編みで顔にそばかすがある)や、ミミ子の暮らす家の設定(オーブンつき台所)などの要素は、『ピッピ』から引き継がれたものである。
そのようなこともあってか、当時のAプロは東京ムービーの専属下請け会社であったにもかかわらず、このシリーズは同社が率先して企画・制作したものである。
翌年3月17日には続編『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』も公開された。
2008年3月15日には渋谷にあるシネマ・アンジェリカなど全国6ヶ所の劇場で『パンダコパンダ』と『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』が二作品同時上映された。
テレビ放送では、地上波ではローカル局で再放送されたり、また、CS放送局ではカートゥーン ネットワークでも再放送された。
余談だが、終盤の動物園のシーンの観客の中に東京ムービー及びAプロが制作していたアニメのキャラクター(『新オバケのQ太郎』のQ太郎、『ど根性ガエル』のひろしと京子、『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』のルパン三世、次元大介)がカメオ出演している(ルパン三世と次元大介は変装での出演)。
両親のいない小学生の少女ミミ子は、同居している祖母を長崎での法事に送り出し、しばらく一人暮らしとなる。
しかし家へ帰ってみると、そこには人語を解する子供のパンダ(パン)がいた。
さらにその父親のパンダ(パパンダ)も現れる。
このパンダ親子は、ミミ子の自宅の傍の竹薮に誘われて来たという。
ミミ子はパパンダに「パパになること」を求め、一方パンに対しては自分が「ママになる」と決めて共同生活を始める。
ミミ子はパパンダに対して、「パパは帽子を被り、たばこを吸って新聞を読み、会社へ行くものだ」と諭し、パパンダはそれを素直に受け入れるが、行く会社がなくて戸惑う。
それを見たミミ子が「今日はお休みなのね」と言うとパパンダは 「会社はずっとお休みです」と宣言する。
パパンダはミミ子、パンと遊ぶこととなる。
その矢先、ミミ子の家を訪ねたお巡りさんが、パンダ親子を見て驚く。
実はパパンダとパンは動物園から逃げ出していた。
警察から聞きつけた動物園の園長は二匹を探して連れ戻そうとする。
一方、ミミ子は登校することになり、同行をせがんだパンを「学校ではぬいぐるみのふりをする」条件で連れて行く。
だが、授業中にパンは給食室にさまよい出て、そこで頭からカレールウを被ってしまう。
黄色く染まったパンを熊と誤認した学校職員や子供たちはパンを追いかける。
ミミ子はそれを見つけてとっさに水洗いし、難を逃れた。
しかし、今度はお巡りさんがパンダの捜索のために学校を訪れた。
その騒ぎの間にパンが迷子になってしまい、皆で探すことになる。
見つかったパンは川に流されており、その先には水門と滝があった。
ミミ子は川に飛び込んでパンの前足をつかみ、滝の手前の川底をもう片方の手でつかんで流れに耐えていた。
そこにやってきたパパンダはその力で水門を閉じ、ミミ子とパンは助けられる。
事件が収束した後、パパンダとパンは動物園に戻った。
二匹はミミ子の家から昼の間動物園に通い、パパンダは動物園でタイムカードを押して給料をもらうこ…

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