【日本語字幕】Ghaida Farisya 22 years old Interview.
『ガイダの生い立ちと幼少の思い出』
< 日本語訳全文 >
ハロー、ガイダ・ファリシャです。
22歳です。
誕生日は5月29日。
出身はバンテン州ラブアン、海沿いの場所です。

子どもの頃の話をするね。
生まれた場所や家族のことは、5年前だったかな、何年か前に話をしたことがあるけど。
もっと知りたい人のために、また話すよ。
みんなにモチベーションを与えたり、元気にできたりするかもしれないから。

■生まれた町 ラブアン

私は末っ子として、海沿いの場所で生まれた。家から海までは歩いて10分くらい。
参考までに言うと、ジャカルタからラブアンまではだいたい5時間だよ。
みんな安心してね、そこはまだジャワ島だから(笑)

私は、素朴で、幸せな家族のもとに生まれた。

私の性格、キャラクターは、日本のアニメと音楽、マンガからできてる(笑)
そういうところから、良い友達付き合いの方法を学んでいった。

良い友達付き合いとは何かっていうと… 日本の文化は慎み深くて、友達同士は寛容さもあって、他人の負担にならないようにっていう気持ちが強いよね。
だから、私はそこから、良い友達、負担にならない友人になるにはどうすればいいかっていう方法を学んだ。

私は、友達付き合いの教訓をマンガとアニメから学んだ。
マンガやアニメでは、友達はお互いに助け合って、お互いに団結してた。
要するに、私は自分の友達に対しては、死ぬまで尽くす、本当に尽くすっていうこと。

街までは遠くて、以前は3時間か、2時間半くらいだったかな。以前はアクセスが本当に悪かったから。
みんな、ラブアンに行ってみてね。行くには、谷や海沿いを通るんだよ、遠いけど。
行った人は、すごく綺麗な山の景色や、青い田んぼを見られる。もっと低い場所では、海、そして美しい海岸もね。

だから、図書館や書店なんて、ない。
マンガを売ってるような書店はなかった。
雑誌は売ってたけど、”グラなんとか”みたいな書店は全然なかった。
だから、セランていう街まで行かなくちゃならなかった。

■「日本」との出会い

子どもの頃、どんなふうに日本を知ったんだろう。
日本を知ったのは、おばさんに教えてもらったんだと思う。
おばさんはジャカルタの大学に通ってて、帰省のたびに毎回マンガを持ってきてくれてた。

マンガは、絵がかわいいと思った。
私が読んでたのは4つくらい。鉄拳チンミ(Kungfu Boy)、ベルサイユのばら、キャンディキャンディ、それから…
あと一つは何だっけ、忘れちゃった。聖闘士星矢とか、るろうに剣心(サムライX)とかそんなの。
よく覚えてるのは、キャンディキャンディとベルばら。

当時はまだ小さくて、3歳だったけど、字も学んでる最中だったし、私はマンガで読書を覚えたんだよ。
マンガは、吹き出しのセリフや文章をどこからどこへ読むのか分からなかった。
左から右?それとも右から左?って。
だから、そこから学んだんだよ。

理解はできなかったけど、絵があって、話の流れもあるから、3歳だしつっかえつっかえだけど、流れは分かった。
こういう話なんだって。
キャンディキャンディなんて、泣くほどだったんだよ。夢中になった、本当に。

それで、その後、インドネシアのテレビでは、アニメの放映が増え始めた。
例えば、カードキャプターさくら、だぁ!だぁ!だぁ!(UFO Baby)、聖闘士星矢、ガンダム、幽遊白書、ヒカルの碁とか。
あとは、ハンターハンター、ナルト、ワンピース、いっぱい言ったね、遊戯王、子ども時代はそんな感じ。とても楽しかった。

改めて、そういうマンガやアニメのテーマを私なりに把握してみると、必ず友情だった。強い友情、真摯な友情が。
そう、家族みたいだった。血のつながりがない友達でもね。
うわーって感動して、そこから学んだんだよ。

■小学校時代

その後、何歳だったかな、6歳くらい?
私は4歳から小学校だったんだけど。
故郷では変わり者で、よそ者だった。いまだによそ者なんだけど。でも問題ないよ。
違いは重要だし、違う人間が1人だろうとこの世にいることが大切。

マンガやアニメが好きだと、変人だと思われてた。
小学校の頃、子どもたちはインド映画が好きだった。
私の村では、ほとんどの子はインド一辺倒だった。
一方、私はほとんど観てなかった。面白いんだけど、子ども向けじゃないっていうか。
大人向けみたいだし、私は観ないことにしてた。子どもだし、観るもの選ぼうって。
だから、変だと思われてた、何でって。

インドネシア人は、アニメのことを「ダッコちゃん」って呼んでた、私の故郷では。
ダッコちゃんて何って思うでしょ?
実は、ダッコちゃんていう映画が昔有名だったんだって。
で、ダッコちゃんを観てる、アニメを観てるっていうのは、その子が怠け者ってことだった。
でも、他のものよりはいいと思って、私は姉とずっと観てた。
その証明に、私は愚鈍にも怠け者にもなってないし、逆にモチベーションを得てる。

でも、小学校の頃はあまり意識してなくて、夢もなかったから、勉強はしてなかった。
両親も「この子はどうなるの?未来はあるの?」っていうくらい、心配してた。

姉は完璧な人で、美人で本当にすごく賢くて、芸術の才能もあって絵も上手だった。賢い上に、勉強ばかりしてて。
それで私は、末っ子ならよくあることだろうけど、一緒にされたくないっていうか、遊んで、アニメ観てた方がいいって思ってた。

だけど、姉は故郷を出て行った。彼女は、自分が成長できないと思ってたみたいで、バンドンに行きたいって。
それで、彼女はバンドンに行ってしまって、私は取り残された。

■中学時代

ようやく中1のときから、私は本気で勉強し始めた。
日本のアニメや歌にモチベーションをもらいながら。
当時はビジュアル系の時代で、そこからモチベーションをもらってた。

3年間、ラブアンから出るために頑張った。
嫌いじゃなかったけど、そこで学べないことを学ぶためにね。
それで3年間、私はトップの成績だったんだよ。
日本のポップカルチャーにモチベーションをもらえたおかげで。
作って下さった皆さん、ありがとう。

■バンドンでの高校時代

そして、私はバンドンの第9国立高校に入ることができた。
そこでは、アニメとか日本のことを知ってる子が多くて、楽しかった。
そんなことも知ってるの?って興奮した。こんなこと、私の故郷では、無かった。

それで、問題もあって、最初の頃、街の子たちの学力レベルについていけなかった。
バンドンの子たちはアンコット(乗り合いワゴンバス)の中とか、交通機関でも勉強してたから、私は必死で勉強しなくちゃならなかった。
頭のいい人がたくさんいた。

1年生のときは、10位以内には入ったけど、トップにはなれなかった。
それで結局、自分自身には、ガイダ、あなたはもうトップにならなくてもいいってことを言い聞かせた。
ベストを尽くして勉強し、素晴らしい学問を修めればいいって。
私はベストを尽くしてるんだし、トップが何ほどのもの?って。
単なる数字に過ぎないし、数字は重要じゃない。
経験から学ぶこと、正直さを学ぶことだって。

それで、トップや100点を取るためカンニングしてた人には悪いんだけど、私はそんなことしなかったし、70点、75点、80点で良かった。
カンニングペーパー作りにばかり一生懸命になってもね。
私が思ってたのは、嘘の中で生きて何になるの?なぜ、数字だけを追い求めるの?質より量を追い求めるの?
質を作るのはプロセスだし、私は心の中でプロセスということを考え始めた。

そうして、2~3年生のときは選抜クラスに入ってた。
そこは、優秀な子が入るところで、1位から7位までの子が集められてた。
クラスでは競争が激しくて、みんな一生懸命で、カンニングする子もいなかった。
私は、最初は別の計画があって、卒業後は自然科学系に進学したかったんだよね。自然科学系の、地質学か環境学にね。

■オーディション

でも、高校3年生のとき、姉に誘われた、「日本に行きたいんでしょ?」って。

私は友達にも公言してたんだよね、日本のおかしな絵やアニメが好きだって知られてたから。
「日本が好きなんでしょ、日本人みたいだね」ってからかわれて、「私はインドネシア人だよ」って答えたり。
「私いつか日本に行くんだー、仕事で」とか口真似されて、うんざりしたり。

で、姉が一枚のオーディションの告知をくれて、「何?」って。
もちろん日本のアイドルのことは知ってたよ。
で、「へー、日本に行けるんだ、いいんじゃない」って。
試しに受けたら合格して、日本にも行けたよ。

それから、日本への愛は弱まるどころか、ますます惹かれるようになって、卒業後の希望も環境学から日本文学に変更した。

■みんなへ

それからもずっと努力して、時間を守って、正直にやってきた。
みんな、特にラブアンのみんなには、出て行くことを恐れちゃいけないって言いたい。
私も必ず戻るよ、戻るために出て行ったんだから。

つまり、出て行ったのは学問を修めて、故郷にそれをもたらすため。
私は、それを示したい。あきらめないでね、フラッシュバックして悲しくなるから。
私の時代、中学校のときは、生徒が1000人以上いて、1クラスのうちやる気があったのは10人。
まずくない?
ジャワ島ですらこうなんだよ?ラブアンだけじゃなくて、勉強しようと思ってる子は、スマトラ、スラウェシ、イリアンとかにいても、勉強の意欲を失っちゃダメだよ。

勉強は、利益を得られるんだよ、私達に必要なこと。
だから、それを示したい。

自信ありげにしてたのに「どうして私の人生はこうなの」なんて言わないでね。あなたはそのゾーンから出ようとしないんだから。

■将来の夢

将来は、学校じゃないけど、語学や音楽を教える学校のようなものを作りたい。
才能や知恵は、すべての人に授けられてると知ってるから。

愚かな人っているのかな。
愚かって言われたい人はいないでしょ?
より賢いというか、この世でしっかりとした人間になるためには、そのプロセスが必要。
みんなも、そのプロセスの中で強くあってほしい。

なんでお説教してるんだろうね、ごめん。
お説教じゃなくて、分かち合いたいんだよ。
そういうこと。

■勉強する理由

たくさんの人に、ガイダ、どうしてそんなに大学院を頑張るの?って言われるけど。
何でだろうね?

好奇心かな。知りたい気持ちが強い。
毎晩、これは本当はどういうこと?って考えてて、沢山の問いかけをしてる。
ありがたいことに、大学院では、多くの問いの答えが得られてる。
実はそういうことだったんだ、って。
インドネシア人は、知らないことがあると、オーッて言うけど、そのオーッには目的がなくちゃいけないよね。

短かったけど、みんながこの動画から何かを得られますように。
要するにそんな感じ。
私は、歳を取っても、知りたがりを止めることはない。
頑張ろう、人生は一度きりで、繰り返すことはできないから。
人生のチャンスは、繰り返すことはできない。
生きよう、そして頑張ろう。
(終)
http://ghaidafarisya.jp/

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