隅田川(旧 大川)に架かる厩橋(うまやばし)は、江戸時代には存在しませんでした。
明治時代までは渡し舟があり、「御厩の渡し」と呼ばれていました。
西岸に御厩河岸(おうまやがし)があったことから厩橋と名付けられたそうです。

元々、厩とは馬小屋のこと、この界隈に幕府の馬を飼育する場所があったことから名付けられました。
余談ですが、その御厩(馬場)のすぐ隣には的場(まとば)がありました。
的場とは、武士が弓の練習をした場所のことで、徳川家の直臣たちが腕を磨いたのでしょう。
今ではそれらがあったことを示すものは何もなく、地名としても残っていませんが、唯一厩橋がその名残を伝えているように思います。

小説鬼平犯科帳第一巻 第四話「浅草・御厩河岸」に登場する場所です。

『幕府御米蔵のたちならぶ西岸から東岸の本所へ、大川を渡るこの渡船は一人二文、馬一疋についても二文の渡銭をとったそうな。
御米蔵の北端、堀端をへだてた浅草・三好町の河岸が渡船場で、これを御厩河岸という。むかし、こあたりに幕府の馬小屋があったところから、この呼び名がついたのであろう。
そのころ。
渡船場に面した三好町の角に、豆岩という小さな居酒屋があった。
主人は五尺に足らぬ小男で、年のころは三十五、六。名を岩五郎ときけば、この店の名のいわれも知れようというものだ。』

と記されています。

御厩の渡しは、明治時代に花見の季節、大勢の人を乗せている時に沈んでしまい、多くの人々が亡くなってしまいました。
それを機に、明治二十六年に厩橋がかけられました。

今は、三好町という地名も残っていません。

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