伊予大洲の藩士 金子半四郎が、亡き父の敵討ちのために江戸に出て、生活のために殺しを請け負うが、ある日根津権現(現 根津神社)前の料理茶屋「釘ぬきや」の主であり、この辺りの顔役でもある「三の松平十」から鬼平暗殺の依頼を受けたことに始まる。
金子半四郎の父、金子七平が、同じ大洲藩士 森為之介と酒席での口論の末、森為之介が金子平七を斬り殺してしまったことによるものでした。
長谷川平蔵が船宿鶴やを贔屓にしていて、この鶴やの亭主 利右衛門が、実は森為之介であり、平蔵が鶴やへ来たところを見計らって中に入り、半四郎が平蔵を暗殺しようとしたところを、忍び込んだ半四郎の顔を見た利右衛門が逆に出刃包丁で己の敵討ちのために江戸に来ていた半四郎を指し殺してしまう。
そういう話です。

で、平蔵は利右衛門を江戸を暫く離れさせ、その間、船宿鶴やを密偵の小房の粂八に預けるわけです。
それ以来、度々鬼平犯科帳では、粂八の店として鶴やが登場します。
軍鶏鍋屋の五鉄とならんで平蔵が愛用する店となります。

一、平蔵が金子半四郎に襲われた場所
汐留川の通りで金子半四郎に襲われる。
ここは現在の浜離宮(旧 徳川家別邸浜御殿)と松平陸奥守(仙台伊達家のこと)屋敷の辺りです。
汐留川は浜離宮の周辺に一部しか残っていません。

二、池之端仲町「浪花や」
ここ、上野池之端仲町に化粧品屋「浪花や」があったという設定になっている。
小説の中の創作なのですが、具体的な場所は特定できません。
金子半四郎が自身が殺してきた者たちの血の臭いを消すために、常にこの「浪花や」の白梅香を身につけていたのです。

三、根津権現前の料理茶屋
半四郎に平蔵暗殺を依頼した「三の松平十」が亭主を務める『釘ぬきや』という料理茶屋が根津権現前あったと小説には書かれています。
江戸時代までは根津権現と呼ばれていたが、明治以降は根津神社に変更しました。
明治時代に起こった廃仏毀釈運動で、仏教と神道が完全に分離され、元々神仏習合に基いて寺院と神社が融合し、神社で祀られている神を権現と称していたものが、廃されてしまったのです。
さて、料理茶屋『釘ぬきや』ですが、これは小説上の話であって、実際は存在しなかったと思われます。
ちなみに、神仏習合では、素戔嗚命は十一面観音、山王大権現は薬師如来、八幡神は阿弥陀如来というように本地垂迹説に基いて神仏習合がなされていました。

四、表御番医師 井上立泉 屋敷跡 芝・新銭座
表御番医師とは、徳川幕政下において若年寄配下で、江戸城内殿中表方の専属医師で、殿中にて体調不良者が出た時に治療に当たっていました。
井上立泉は、平蔵の亡父宣雄と親交のあった医師で、芝・新銭座に屋敷があったという設定になっています。
現在は新銭座という地名はなく、今の港区浜松町一丁目辺りにありました。
古地図を見ると、丁度その場所に井上と書かれているので、それを参考にしたのでしょうか。
ちなみに、この方は小説上の架空の人物です。
松平肥後守の屋敷の隣辺りで、現在のイタリア公園の場所に「井上」と書かれた屋敷が見られます。

五、深川・石島町の船宿鶴や
金子半四郎の仇、利右衛門(本名 森為之介)が経営していた船宿です。
利右衛門が江戸から姿を消した後、元盗賊で密偵となった小房の粂八が亭主を務めることとなった場所です。
石島町の地名は今でも残っているのですが、「鶴や」は作者の創作です。

上野は風光明媚な場所で、江戸の頃から文人墨客が多く住んでいたり、商人たちの別荘なども建ち並んでいたと言います。
のんびりした江戸時代の穏やかな日々にタイムスリップしてみたいものですね。

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