【テロップ】昭南
【音声】
昭南において、活発な活動を続けていたインド独立連盟は、
10月21日、自由インド仮政府を樹立し、
スバス・チャンドラ・ボース氏は、主席兼国民軍総司令に就任しました。

このインド独立運動史上における、歴史的発足を祝する、インド民衆大会が、
10月24日、昭南市において開催され、ボース氏はインド独立のために、
終始深甚なる好意と同情を寄せた、帝国の変わらざる支援に対し、
心から感謝の意を表明したる後、
「この帝国の道義的協力に対しては、
 独立達成の重大責務を、あくまで実現することによって、報うるのみである」と、
堂々インド進軍の、固き決意を述べました。

参集せる国民軍兵士・民衆は、熱狂的歓呼をもってこれに応え、
デリー入城のその日まで、
一身を捨てて、戦い抜かんことを誓ったのであります。

【スバス・チャンドラ・ボース】Subhas Chandra Bose
ベンガル文字:সুভাষচন্দ্র বসু Bn-নেতাজি সুভাষচন্দ্র বসু
1897年01月23日 – 1945年08月18日
インドの独立運動家、インド国民会議派議長(1938 – 1939年)、
自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。
民族的出自はベンガル人。
ネータージー(指導者、नेताजी, Netāji。ネタージ、ネタジ とも)の敬称で呼ばれる。
なおベンガル語の発音は、シュバーシュ・チョンドロ・ボーシューが近い。

ボースは昭和18年10月21日、昭南で自由インド仮政府首班に就任し、
ボースはそのカリスマ的魅力やA.M.ナイルらの国民軍の首脳による献身的な協力を元に、
日本軍の占領地域である東南アジアにおいて国民軍の募兵を積極的に行ったほか、
ラジオを使い対英闘争の継続を訴えた。

また同年11月には大東亜会議への参加のために再度来日し、
独立後にインドを大東亜共栄圏に組み込まないことを理由にオブザーバーとして参加したほか、
大東亜結集国民大会で演説を行ない、インド独立への支援を日本国民に訴えた。

【概要】
10月21日、シンガポールで開かれたインド独立連盟東亜代表者大会で、
スバス・チャンドラ・ボース氏を主席とする自由インド仮政府が樹立した。
シンガポールでは、24日これを祝う民衆大会が開かれた。

【ショット解説】
民衆大会に集まった多数のインド人
インド進軍を呼びかけるチャンドラ・ボース氏
デリー入城の日まで戦い抜こうと歓呼して答える国民軍兵士と民衆

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