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[異色短編集1〜4]
小学館文庫 藤子・F・不二雄
(ふじこ・エフ・ふじお 1933 – 1996)初版1995年

SF的手法を駆使して現代世相を痛烈に風刺した異色短編集
1. ミノタウロスの皿
2. 気楽に殺ろうよ
3. 箱船はいっぱい
4. パラレル同窓会

#ミノタウロス
ギリシア伝説の牛頭人身の怪物。クレタ王ミノスの妃パシファエと白牛から生まれた。ダイダロスの作った迷宮ラビュリントスに閉じ込められ人肉を食っていたが,アテネの王子テセウスに退治された。

#さら【皿/▽盤】[名]
1 食物を盛る、浅くて平たい容器。陶製・ガラス製・金属製などがある。
2 供応の膳ぜんなどで、1に盛って出す料理。
3 1に似た形のもの。「ひざの―」「はかりの―」「灰―」
4 漢字の脚あしの一。「盆」「益」「盛」「監」などの「皿」の部分の称。
[接尾]助数詞。皿に盛った食物や料理などの数を数えるのに用いる。「カレーライス二―」「炒いため物三―」

#き‐らく【気楽】[名・形動]
1 心配や苦労がなく、のんびりとしていられること。また、そのさま。「気楽な身分」「気楽に暮らす」
2 物事にこだわらないで、のんきなさま。「気楽なことを言う」

#ころ・す【殺】※やる 殺る
① 他人や動物などの生命を絶つ。命を取る。
② 不注意で死なせた、または、手を尽くしたが死に至らせた。亡くす。失う。
③ おさえて小さくする。勢いをおさえとどめる。
④ 相手を悩殺する。惚(ほ)れさせて意のままにあやつる。
⑤ ある人やある物の持つ特性や長所をだめにする。
⑥ 碁などの勝負事や相撲・野球などのスポーツで、相手の攻撃力を直接的あるいは間接的に封じる。
⑦ 衣服類を質(しち)に入れる。
⑧ 清算取引で、相場の変動のため客が取引員に追加して支払うべき証拠金を納入しなかった際、客の建玉を任意に処分してしまう。
⑨ 情交で相手をすっかり夢中にさせる。
⑩ 列車の運転をとりやめることをいう、鉄道関係者の語。 

# はこ‐ぶね【箱船・方舟】〘名〙
① 四角な形をした乗り物の船。方形の船。
② 旧約聖書の「ノアの箱船」をいう。
※旧約全書(1888)創世記「ヱホバ、ノアに言たまひけるは汝と汝の家皆方舟(ハコブネ)に入べし」
③ 箱形をした容器。

#いっ‐ぱい【一杯】
[名]
1 一つの杯・茶碗などに入る分量。「コップ一杯の水」
2 ちょっと酒を飲むこと。「帰りに一杯やりませんか」
3 イカ・タコや船一つ。→杯はい
4 金1両。
5 名詞の下に付き、接尾語的に用いて、限度ぎりぎりまで、の意を表す。「精一杯働く」「時間一杯考える」「腹一杯食べる」
[副]
1 一定の容器や場所などに物があふれんばかりに満ちているさま。「日が一杯さし込む」「部屋は来客で一杯になる」
2 できる限り。ありったけ。「弓を一杯に引き絞る」

#パラレル〘名〙 (parallel)
① (形動) 直線や平面が平行であること。また、二つの事柄が、ならんで交わることなく存在すること。また、そのさま。
② 電気回路で、同極の端子どうしを接続すること。並列。列連絡。
③ 記号活字の一種。文中の参照符に用いる。「=」。
④ スキー技術の一つ。二本のスキーを平行にそろえて操作、滑走すること。「パラレル‐ターン」

#どうそう‐かい〔ドウサウクワイ〕【同窓会】
同窓の人たちの親睦のための団体。また、その会合。
同一の学校の卒業生を会員として構成される団体。現・旧教職員も特別会員などの形でその一部を構成する。会員相互の親睦,母校への援助が会のおもな目的。活動内容は,総会,定例会の開催,会報や会員名簿の発行,母校への寄付,会員の研修会や講演会など多岐にわたっている。同窓会は,卒業年次による先輩後輩という縦の関係と,同期卒業の横の関係を基盤として,対内的には情緒的な共同体意識をつくりあげるとともに,対外的には,いわゆるコネや学閥という利益集団の形成という社会的機能を果すようにもなる。

#ペンネーム:藤子・F・不二雄(ふじこ・エフ・ふじお)
本名:藤本弘(ふじもと ひろし 1933 – 1996 没62歳)
代表作:「パーマン」「21えもん」「ドラえもん」など。

#ペンネーム:藤子不二雄A(ふじこ・ふじお・エー)
本名:安孫子素雄(あびこ もとお 1934 – 2022 没88歳)
代表作:「忍者ハットリくん」 怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」 「プロゴルファー猿」「まんが道」など。

#ペンネーム:藤子不二雄(ふじこ ふじお)
藤本弘・安孫子素雄が二人で一人の漫画家として共作するときの名義で、「オバケのQ太郎」などが代表作。
ただ、二人はバラバラに書いている間も、名義は藤子不二雄としている期間が長かったのでわかりにくい。

#藤子・F・不二雄について
愛用していた鉛筆は三菱ユニのB、ペン先はゼブラのかぶらペン。整理された画面構成を好み、不必要な線が入りすぎることを嫌った。作品を単行本化する際、加筆修正、削除を行い、より完成度を高めるようにしている。

第二次世界大戦中に小学校時代を過ごした世代であり、第二次大戦終結(1945年8月15日)当時は国民学校(現・小学校)6年生であった。したがって、兵器、軍事、クーデター、革命などに関する作品も多くある。兵器に関しては子供が憧れる格好いいものと描いている描写(スネ夫のセリフなど)があるが、戦争自体への考えは世代に関係なく一貫して虚しいもの、恐るべきもの、愚かしい行為として描いている。また、ドラえもん初期には、第二次世界大戦に関するエピソードがいくつか見受けられる(疎開先での児童生活の辛さを描いた『白ゆりのような女の子』、上野動物園での動物の殺処分について触れた『ぞうとおじさん』など)。1979年発表『T・Pぼん「戦場の美少女」』では主人公たちが特攻隊員に歴史干渉をしている。1980年発表の短編『超兵器ガ壱号』では、第二次世界大戦に日本が勝利する世界を描いている。

中学から高校時代の藤本は、安孫子(あびこ)と頻繁に書店を訪ね、刊行されたばかりの手塚作品の初版本をほぼすべて買い集めていた。また藤本は手塚の漫画を感激のあまり誰彼となく見せて歩き、必ず相手が読み終わるまでそばにいて反応を見ていた。ただし期待通りに相手が面白がってくれないと「こいつ鈍いんじゃないのか」と不満だったという。

藤本は15歳のときに手塚にファンレターを出し、その返事が16歳のとき(1950年3月18日)に届いた。そのハガキには「しっかりしたタッチで将来がたのしみです」と手塚の直筆で書かれており、ますますファンになったという。藤本はそのハガキを生涯大事に保管した。藤子・F・不二雄ミュージアムの設立後は、同施設にて管理されている(複製品を展示)。

高校卒業後はいったん就職することに決めるが、漫画家への夢を諦めたわけではなかった。卒業式を終えた後の春休みに、藤本と安孫子は手塚治虫に会うために宝塚を訪れた。藤本は高校を卒業して漫画家としてやっていけるか不安だったが(藤本と安孫子は当時、プロデビュー作『天使の玉ちゃん』を連載中だった)、手塚から「君たちならやっていけると思う」と言われたことでプロ漫画家として本格的に活動することを決意したという。当時を想起して、藤本は「夢のような声をかけてくれた」と語っている。

『ドラえもん』など、SF色(特にタイムトラベルを描いた内容)の強い作品の多さなどからわかる通り、SFに対しての関心も強かった。SF短編などには、名作SFからの影響や引用が散見できる。『スター・ウォーズ』が公開され、大ブームになった時期には、『ドラえもん』の各所に『スター・ウォーズ』にちなんだネタを数多く登場させた(パロディとして描いた「天井うらの宇宙戦争」(姫はアーレ・オッカナ、ロボットはR3-D3、敵はアカンベーダー)の話のほかにも、リザーブマシンで取った映画の席が『スター・ジョーズ』であるなど。SF短編では『ある日……』と『裏町裏通り名画館』に『スター・ウォーズ』のパロディ劇中劇がある)。

作中に登場する女の子には強いこだわりがあり、女の子が登場しただけで単行本に収録する際、加筆修正を何重にも行うこともある(『21エモン』でのルナ登場シーンや、『エスパー魔美』のヌードシーンなど)。特に『ドラえもん』のアニメ化の際、しずかについての作画には多く注文した。

晩年、小学館の児童向け学習雑誌や『コロコロコミック』などに作品が掲載される際には、「マンガの王様」というクレジットがあった。

社交的でテレビ出演やエッセイ執筆、ゴルフなどもこなす安孫子とは対照的に、こつこつとマンガ執筆に専心していた。ゴルフは個人的にたしなんでいたが、自他ともに認める「下手の横好き」であったといい、晩年に執筆した作品の『未来の想い出』ではゴルフが下手くそな自身をモデルにした納戸理人が「藤子・F・不二雄(名前だけの登場)の方が下手だぞ!」と話す場面がある。酒はまったく飲めなかった。この点について楠部三吉郎は、宴席の場ではお互い緊張することになったと述べている。

ベレー帽とパイプがトレードマークであり、作中に登場する本人の似顔絵にも描かれている。ベレー帽をかぶるきっかけを作った人物は、同じくベレー帽をトレードマークとする手塚治虫ではなく、相棒の安孫子である。ある日、安孫子は知り合いからベレー帽をもらったが、あまりかぶる気にはならなかったため、それをそのまま藤本に譲った。以来彼のトレードマークになった。なお藤本は「安孫子のほうがおしゃれだから、僕より似合ったはず」と思っていたそうである。パイプについては、執筆中に撮影された写真でもくわえているものがあったが、癌を発症した晩年に医者から禁煙を命じられ、禁煙パイポを使っていたこともあった。仕事場ではベレー帽をかぶり、パイプ煙草を吹かしながら黙々と机に向かうのが日課であった。一方でベレー帽は普段は着用せず取材のときだけかぶっていたとの証言もある。

カメラ撮影やジオラマ制作なども趣味であり、ドラえもんのひみつ道具には数多くのカメラが登場するほか、ジオラマ制作について事細かに極意を解いたマニアックな話も登場する。藤本は、ひみつ道具のアイディアをひねり出すヒントの一つに「自分の好きなものをモチーフにする」というのがあり、その一例としてカメラを採り上げていた。そのほか、特撮、プラモデル、ラジコンなどホビー関連に造詣が深い。

食の面では特に肉を好み、大根だけは苦手だった。いくつかの作品に登場するキャラクター小池さんと同様に、好きな食べ物は「インスタントラーメン(特にチキンラーメン)」であると語っていた。小池さんのモデルである鈴木伸一は、自分よりも藤本の方がずっとラーメン好きだったと語っている。お湯をかけるだけで食べられるという点が「魔法のよう」であると言い、旧スタジオ・ゼロの屋上でインスタントラーメンを食べているグラフが撮影されたこともある。

1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。しかし、いつまで経っても食卓にやって来なかったため娘が仕事場へ呼びにいったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の連載第3回を執筆中だったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分、東京都新宿区の慶應義塾大学病院で肝不全のためその生涯を閉じた。62歳没。

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