●杉田庄一(すぎた しょういち、1924年(大正13年)7月1日~1945年(昭和20年)4月15日)は、日本の海軍軍人。戦死による二階級特進で最終階級は海軍少尉。大東亜戦争における戦闘機パイロット。
新潟県に生まれ、15歳で農学校を中退、海軍に志願入隊。1942年(昭和17年)3月、戦闘機の飛練教程を終え、6空付となって10月にブイン基地に進出した。12月1日の初空戦で飛行場上空にて神田佐治飛長とB-17を協同撃墜した。
このとき、戦闘中に右翼がB-17と接触した無事に着陸を果たしている。28日にもブイン上空で僚機と協同でB-17 1機を撃墜している。
4月18日、山本五十六連合艦隊司令長官らの搭乗する2機の一式陸攻を掩護して、他の5機の零戦とともに出撃した。一行は待ち伏せたP-38に奇襲され一式陸攻は2機とも撃墜された。
司令長官を守り切れなかったという敗北感に苦しめられた。しかし、杉田ははげしくなる一方の戦闘に闘志をもやし、戦闘技術にさらに磨きをかけ、敵をして心胆寒からしめる存在となっていった。
連日の空戦をこなし、同僚があいついで命を落としていくなかで、杉田はつぎつぎと撃墜を果たしていった。1945年(昭和20年)1月に本土に帰るまでに120機以上を撃墜したという。
1944年12月、源田実大佐によって四国の松山に新鋭機紫電改を独占装備した精鋭戦闘機部隊343空(2代)が編成された。源田大佐自身が杉田上飛曹を隊員に指名し、到着するや戦闘301飛行隊付を命じられた。
343空では隊長の菅野に信服し他の者が悪口でも言おうものならば殴りかからんばかりだったという。
4月15日午後3時前後、敵機接近の報を受けて源田実司令は出撃命令を発する。しかし敵機グラマンF6Fヘルキャット数機が上空へ来襲したため、司令は離陸中止命令を出す。
大部分は止まったが既に杉田と3番機宮沢豊美が滑走しており、発進中の杉田に敵が群がり撃墜され、黒煙を吐きながら基地滑走路の端に墜落炎上、戦死した。宮沢もその間に発進するが逃げ切れず撃墜される。
杉田を撃墜したのはF6Fに搭乗していたVF-46所属ロバート・ウェザラップ少佐とされる。
死後の布告文では単独撃墜70機と協同撃墜40機が公認された。
その傑出した戦功に対する二階級特進については、源田大佐が留保しようとしたといわれるが、上層部の判断により、8月1日付で結局全軍に布告され少尉に進級した。

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