日曜日は本社神輿三基町内渡御。
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三社祭の一之宮、二之宮、三之宮は毎年渡御地区を変える。
一之宮には土師真中知命、二之宮には桧前浜成命、三之宮には桧前竹成命の御神霊を乗せて氏子地区の隅々を渡御するのですが、 単年度での例大祭で宮神輿が氏子四十四ヶ町全ては広すぎて渡御することが出来ないのです。
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本社神輿三基
重さ1トンを超える本社神輿3基
一之宮
神輿データ: 祭神:土師真仲知命 台座:三尺七寸(112) 建造:昭和25年 製作者:浅草・宮本重義
    特記: 「一之宮」 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く
二之宮
神輿データ: 祭神:槍前浜成命 台座:三尺七寸(112) 建造年度:昭和25年 製作者:浅草・宮本重義
特記:二之宮 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く
三之宮
神輿データ: 祭神:槍前竹成命 台座:三尺七寸(112) 建造:昭和28年 製作者:浅草・宮本重義
    特記: 「三之宮」 吹き返しがない延軒屋根と蕨手が軒下から巻き上がっている 胴に晒を巻く
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三社祭とは浅草神社の祭神が土師真仲知(はじのまつち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)、武成(たけなり)という3人の神を 三社大権現と呼ばれたことに由来する。
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三社祭は かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、明治5年(1872)から5月17・18日に行われるようになった。が、 現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。 浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。

初夏告げる浅草の三社祭は、下町の華 掛け声の競演でもある。 「ソイヤ、ソイヤ!」と威勢のよい掛け声。「セイヤ、セイヤ!」と掛け声が彼方此方で飛び交うのです。 富岡八幡の深川八幡祭りでの掛け声は、江戸の伝統文化を護ろうと、「セイヤ!ソイヤ!」を禁止して昔ながらの「わっしょい」である。
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浅草神社: 飛鳥時代、推古天皇36年(628)檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり) の兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。 郷司の土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)はこれを拝し、 聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、 その後出家し自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。 三社権現と称し上記三人を神として祀ったのが三社権現社 (浅草神社)の始まりであるとされる。
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三社祭り神輿乗り禁止令:最終日の宮神輿3基の宮出しが祭りのクライマックス。 参道に鎮座する宮神輿を地元氏子の担ぎ手達が担っていたが昭和30~40年頃から担ぎ手不足から 勇壮な神輿の担ぎ手は全国に広がり今や1万人、宮神輿を担ぎ手達が奪い合う。 全国区は「年に一度の男気」氏子は「浅草以外の担ぎ手に神輿取られを防ぐ神輿乗り」 浅草神社と神社奉賛会は「お神霊汚すそして危険」と神輿乗り禁止令。 地元氏子は「細かな規制は”粋”な祭りの魅力をそぐ」ウムごもっとも!

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